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藤川球児の現在の年俸や火の玉ストレートは?成績をチェック!

更新日

かつての岡田政権下における阪神タイガースで、最も活躍した選手と言えば、皆さんは誰を思い浮かびますか?

筆者個人としては、『JFK』の1人・藤川球児投手ではないかと思っています。

全盛期の藤川球児投手を知っていると、阪神復帰後の藤川球児投手は

「衰えてしまったなぁ…」

と残念に感じてしまうわけです。

もしかしたら、もう全盛期の頃の藤川球児投手を知らない世代も出てきている頃かもしれません。

そこで当記事では、阪神の藤川球児投手の成績や年俸、さらには代名詞ともいえる『火の玉ストレート』について、紹介しようと思います。

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藤川球児の年度別成績をチェック!

藤川球児投手といえば、

『岡田政権下での最強ストッパー』

『火の玉ストレート』

というイメージが強いかと思いますが、昔は全くピリッとしない投手でした。

それがよくわかるデータとなる、藤川球児投手の年度別成績を見てみましょう。

藤川球児の年度別成績!

阪神時代

年度 試合数 回数 勝敗 防御率 WHIP
1999 1軍登板なし
2000 19 22.2 なし 4.76 1.90
2001 1軍登板なし
2002 12 68 1勝5敗 3.71 1.26
2003 17 29.1 1勝1敗 3.38 1.36
2004 26 31 2勝0敗 2.61 1.19
2005 80 92.1 7勝1敗1S46H(最優秀中継ぎ) 1.36 0.83
2006 63 79.1 5勝0敗17S30H(最優秀中継ぎ) 0.68 0.86
2007 71 83 5勝5敗46S6H(セーブ王) 1.63 0.82
2008 63 67.2 8勝1敗38S5H 0.67 0.69
2009 49 57.2 5勝3敗25S3H 1.25 0.82
2010 58 62.2 3勝4敗28S5H 2.01 1.08
2011 56 51 3勝3敗41S5H(セーブ王) 1.24 0.75
2012 48 47.2 2勝2敗24S2H 1.32 1.03

シカゴ・カブス時代

年度 試合数 回数 勝敗 防御率 WHIP
2013 12 12 1勝1敗2S1H 5.25 1.08
2014 15 13 0勝0敗 4.85 1.85

 

テキサス・レンジャーズ時代

年度 試合数 回数 勝敗 防御率 WHIP
2015 2 1.2 0勝0敗 16.20 1.20

※この年の途中から、独立リーグの四国ファイティングドッグスへ移籍

阪神復帰後

年度 試合数 回数 勝敗 防御率 WHIP
2016 43 62.2 5勝6敗3S10H 4.60 1.40

上記の成績を見てもらえればわかる通り、入団当初の藤川球児投手は、全くピリッとしない投手でした。

先発として、1998年にドラフト1位で指名されたのですが、入団当初の藤川球児投手の課題となったのは

スタミナ面

です。

もともと、球自体は光るものがあったのですが、試合中盤から球速やコントロールがガクッと落ちてしまう難点を抱えていたのです。

要するにスタミナ不足ですね。

球自体はいいものを持っているので、なんとか生かしたい…

こうして、伸び悩んでいた藤川球児投手を中継ぎに転向させたのが、中西1軍投手コーチ(当時)の助言を受けた岡田彰布監督(当時)です。

また、山口2軍投手コーチ(当時)のアドバイスもあり、藤川球児投手は投球フォームを改善。

これにより、最速140キロ台が精いっぱいだった藤川球児投手は、後に

『火の玉ストレート』

と呼ばれる

平均149キロで最速156キロ、さらに浮き上がるように伸びてくるスピンのかかったストレート

を投げられるようになったのです。

そして、藤川球児投手は2005年についに覚醒。

80試合に登板し、46ホールドの成績を収め、最優秀中継ぎのタイトル

を獲得したのです。

その後の藤川球児投手は、2007年から抑えに転向し、阪神不動のクローザーとして、その地位を確立しました。

 

藤川球児投手は、かねてよりメジャーリーグ挑戦の意思を見せていましたが、

ポスティングは全て阪神側が拒否する

などのことから、なかなか渡米することができない不遇時代を過ごしたこともあります。

そのメジャーへの夢が果たされたのは、6年後となる2013年。

藤川球児投手は海外FA権を行使し、カゴ・カブスへ移籍することとなったのです。

藤川球児

長年の夢の舞台へと進んだ藤川球児投手。

しかし、メジャーリーグでの藤川球児投手は、怪我に悩まされ続け、全く活躍できずに終わってしまいます。

2013年4月に、いきなり怪我で離脱。

その後5月には復帰し、好成績を収めていたものの、5月26日に怪我が再発…

結局、

トミー・ジョン手術を受ける

という事態にまで陥ってしまったのです。

その後は全く活躍できず、テキサス・レンジャーズに移籍したものの、ここでもパッとした成績を残せず、

2015年途中に自由契約

となってしまうのでした。

さらには怪我により全盛期のストレートは投げられなくなってしまい、どん底へ叩き落とされた藤川球児投手。

ただ、そんな藤川球児投手でも日本プロ野球界やメジャーリーグ球団から複数のオファーがあったそうです。

しかし、藤川球児投手はその全てを断り、

独立リーグの四国ファイティングドッグスに入団

という、野球ファンをあっと驚かせる決断を下しました。

藤川球児投手は、

「地元の子どもたちに夢を与えたい」

ということで、地元である高知で野球をすることを選んだのです。

その後、2016年には2年契約で阪神に復帰を果たします。

やはり全盛期ほどの活躍はできなかったものの、先発や中継ぎをこなし、

43試合に登板し、5勝6敗3S10H 防4.60

という成績を収めました。

現状を見る限りでは、あまりいい成績とは言えないので、2017年で藤川球児投手の現役引退も可能性としてはありえるかもしれませんね。

 

藤川球児の年俸推移!

続いては、藤川球児投手の年俸について調べてみました。

藤川球児投手は、一体いくらの年俸を手にしてきたのでしょうか。

藤川球児の年俸推移

1999年 700万円

2000年 700万円

2001年 780万円

2002年 700万円

2003年 1250万円

2004年 1550万円

2005年 2200万円

2006年 8000万円

2007年 1億7000万円

2008年 2億8000万円

2009年 4億円

2010年 4億円

2011年 4億円

2012年 4億円

2013年 4億円

2014年 4億円

2015年 1億円

2016年 2億円

となっています。

特筆すべきは、2006年の年俸でしょう。

最優秀中継ぎを獲得した次の年の契約は、それまでの約4倍!

さらに2007年には1億円プレーヤーとなり、2009年には4億円を突破!

ブレイクを果たしてから、わずか4年で、

年俸2200万円が4億円

になったのです。

たった4年で、この数字には恐れ入りますね。

また、阪神復帰後も、2年4億円で契約したため、現在は年俸2億円。

成績を見ると、

「ちょっと高すぎ…」

と思えてしまうだけに、もう一花、藤川球児投手には咲かせてほしいところです。

 

藤川球児の火の玉ストレートとは?

最後に、藤川球児投手の代名詞でもある

『火の玉ストレート』

について紹介します。

『火の玉ストレート』というと、字面だけを見れば、

「ずっと燃えてそうだし、常に打たれてるストレートなのかな」

と、炎上しているという意味で捉えられても仕方のないネーミングですよね。

実際、筆者も『火の玉ストレート』という名前だけを見ると、そう感じてしまいます。

もっとまともなネーミングにできなかったのか、と…。

しかし、『火の玉ストレート』の実態は、打たれまくるストレートではありません。

それどころか、打者が全く手が出せない、異次元のストレートなのです。

では、『火の玉ストレート』とはどんなストレートなのか?

こちらの対戦を見ていただければ、よくわかると思います。

とくに、小笠原道大さんとの勝負の1球目を見てもらえればわかるのですが、藤川球児投手のストレートは

ホップするような球筋

という部分に特徴があります。

野球の専門的な用語で言えば、

非常にノビのあるストレート

ですね。

通常ならば、ストレートがバッターボックスに到達するまでに、重力にしたがって球が落ちてくるのですが、藤川球児投手の場合、ほぼ直線軌道でキャッチャーミットに収まります。

簡単に図で表すと、このようなイメージを持っていただければわかりやすいかと思います。

(図はかなり極端にしていますが…。)

図のようになっているので、普通のストレートと同じ感覚で『火の玉ストレート』をミートしようとしてしまうと、先ほどの小笠原さんのように、

ボールの下でバットが空を切ってしまう

という状態になるのです。

当てにくいストレートならば、藤川球児投手の『火の玉ストレート』は歴代最高ではないかと思うほどです。

当時のキャッチャーだった矢野燿大さんは、

「ストレートを超えた魔球」

だと称していましたしね。

このストレートを会得するには、回転数や回転軸の角度など、非常に難しい問題も絡んできます。

これを意識してできるため、

藤川球児投手にしかできない必殺技

と捉えた方がいいかもしれません。

つまり、意識して投げるのはプロでもほぼ無理に近いくらい、素晴らしいストレートなのです。

 

まとめ

藤川球児投手の年度別成績や年俸、代名詞でもある『火の玉ストレート』について、紹介しました。

絶対的守護神として長年阪神を支えた藤川球児投手。

プロ当初は全く活躍できていなかったと聞いて、驚いた人も多いのではないでしょうか?

プロ入りは全くダメだった選手でも、藤川球児投手のように、いきなり大ブレイクを果たすということもあります。

最近では、ソフトバンク・千賀投手がいい例ですね。

もちろん、本人の努力も必要なのですが、一流のプロ野球選手になるには

「いいコーチと巡り合えるかどうか」

も、選手によって大きくかかわってくると改めて思う所ですね。

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