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ゲド戦記のストーリー結末ネタバレと宮崎駿監督の映画批判の理由

更新日

スタジオジブリのアニメ映画作品で、宮崎駿監督の息子である『宮崎吾朗』監督デビュー作品として注目されたアニメ映画『ゲド戦記』。

主人公・アレンの声優を『V6』の岡田准一(おかだじゅんいち)さんが担当

ヒロイン:テルーの声を、独特の歌唱力を持つ歌手・手嶌葵(てしまあおい)さんが担当

当時、世間で注目を集めた作品として、おなじみですよね。

さて、そんなアニメ映画『ゲド戦記』ですが、父である宮崎駿監督も、かなり痛烈にこの映画を批判しています。

また、『ゲド戦記』は、原作の一部しか描かれていないという話も耳にします。

そこで本記事で、ジブリのアニメ映画『ゲド戦記』のストーリー結末ネタバレや、原作から宮崎駿監督の批判の理由などを探っていきます!

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ゲド戦記のストーリー結末ネタバレ

ゲド戦記

ゲド戦記

みなさんは、スタジオジブリのアニメ映画作品『ゲド戦記』を知っていますか?

『ゲド戦記』は、スタジオジブリの作品の中ではありますが、宮崎駿監督ではなく、息子の宮崎吾朗氏が初めての監督を務めた作品です。

高畑勲監督が務めた『かぐや姫の物語』や『火垂るの墓』などのような、

特殊な雰囲気を持った作品として描かれている

ので、きっと『ゲド戦記』を記憶している人も多いと思います。

しかし、その『ゲド戦記』の特異さが、一般的には『意味不明』と受け取られ、ストーリーや設定が難解という意見を持つ人もいるそうです。

では、軽く振り返る意味も含めて、さっそくを『ゲド戦記』のストーリーを結末までおさらいしていきましょう。

『ゲド戦記』のストーリーを結末まで(ネタバレあり)

竜が人間界に現れ、共食いを始めたことで均衡を失った国の王子アレン(役:岡田准一)。

彼は衝動的に父(役:小林薫)の命を奪い、国を捨てて逃亡。

実態のない影に追われ、心身崩壊しそうになっていたところを、賢者ハイタカ(役:菅原文太)に救われます。

そして、共にホート・タウンと言う街に足を運びました。

 

このホート・タウンという街は、かつては美しい街でした。

しかし、現在は人を狂わせる薬や、人買いが横行する、荒んだ街に成り果ててしまっています。

そんな街でアレンは、人狩りのウサギ(役:香川照之)に襲われそうになっていた少女・テルー(役:手嶌葵)を見かけます。

そして、彼女を救おうとしますが、逆に自分が捕まってしまい、奴隷として売り払われそうになってしまいます。

アレンが窮地に陥っていることに気がついたハイタカは、再びアレンを救い出します。

ハイタカはアレンを連れて、離れの街で暮らしている昔なじみのテナー(役:風吹ジュン)のところを訪れます。

アレンが救おうとしたテルーは、親に捨てられ、テナーの元で暮らしていたことが発覚するのです。

ハイタカは、アレンを匿ってもらう代わりに、ここで生活し、アレンたちを守ろうと決意。

 

ある日、たまたま用事で出かけていた隙に、近くの魔法使い・クモの部下がやってきてテナーを誘拐してしまいます。

その際、テルーに対して、ハイタカに城へ来るように言付けるのです。

一方、アレンもクモ(役:田中裕子)にさらわれ、正気を失ってしまう有様。

遅れて帰ってきたハイタカに、事の顛末をテルーが告げると、慌てて城に乗り込みます。

しかし、ハイタカまでも魔力を奪われ、城に幽閉されてしまうのです。

頼みの綱であったハイタカまでも捕まってしまい、万事休す。

 

ハイタカからアレンの剣を受け取っていたテルーは、単身城に乗り込みます。

そこで、正気を失ったアレンを説得し、闇から救い出し、魔法の剣を渡すのです。

正気に戻ったアレンは、見違えるように強くなっていましたが、クモは強力な魔法を駆使して、城ごとアレンたちを破壊しようとします。

これには、強くなったとはいえ、さすがにアレンも太刀打ちでききない様子。

再び窮地に陥ったアレンを救ったのは、他でもないテルーであり、テルーは何と

ドラゴンへと変身

し、クモを倒すのです。

 

かつて、クモが

永遠の命の欲しさに、禁忌とされていた、『生』の世界と『生』とは真逆の世界をわかつ扉を開けた

ことで、世界の均衡が崩れてしまったのです。

この世界の崩れた均衡は、クモが倒れたことで再び取り戻し、ようやく世界に平和が訪れるのです。

そして、アレンはテルー、テナーと再会を誓いながらも、父の命を奪った罪を償うために国に帰っていくのでした…

以上が、ジブリのアニメ映画『ゲド戦記』の、結末までのストーリーあらすじです。

身勝手で私利私欲な行動が、世界の均衡をも破壊し、混沌とする世を作り上げてしまう…

だからこそ、

他人に迷惑をかける身勝手な行動など許されない

ということを教えてくれた作品と考えています。

単純なアニメ作品と言えば、まぁそれまでです。

その中にもメッセージ性が詰まっていて、何かを考えさせてくれるアニメ映画だと思います。

気になる人は、『ゲド戦記』のDVDなどをレンタルして、一度見てみてくださいね。

 

『ゲド戦記』の原作小説は長編ストーリー!

ゲド戦記

アニメでは、『ゲド戦記』と言いながら、主人公の名前は『アレン』です。

この映画『ゲド戦記』だけを視聴した人からすると、なんとも意味不明なタイトルだと、誰もが感じたことでしょう。

 

ただ実は、このアニメ映画『ゲド戦記』は、

原作の一部を切り抜いて作られたアニメ作品

だったのです。

実際は、『ゲド戦記』の原作は、『指輪物語』『ナルニア国物語』と並んで、

世界三大ファンタジー作品のひとつ

である、アメリカの女流SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンの、同名の小説が原作となっています。

それも、この原作『ゲド戦記』の小説は、全6巻にも渡る長編小説となっています

アニメ映画『ゲド戦記』の内容は、その中の『第3巻』で描かれていたストーリーの一部を元に作られているとのこと。

そのため、本来ならば、

ハイタカが、何故『ゲド』と呼ばれているのか。

そして、この作品の本来の主人公が、ゲド(ハイタカ)にあることの説明が、全て抜けていてしまっている

ために、どこか違和感が残る作品となってしまっているのでしょう。

もし、『ゲド戦記』の原作小説にも興味がある人は、一度じっくり読んでみてください。

 

宮﨑駿が『ゲド戦記』を痛烈に批判した理由

宮﨑駿

宮﨑駿

アニメ映画界の巨匠と呼ばれる『宮﨑駿監督』を父にもつ宮崎吾朗監督が手がけた『ゲド戦記』です。

しかし、巨匠で父の宮﨑駿監督は、この『ゲド戦記』を見るやいなや、痛烈に批判しました。

『ゲド戦記』が劇場公開された時だけでなく、今もなお宮﨑駿監督の批判が話題になっているようです。

ちなみに、どのように『ゲド戦記』を批判していたかというと、

「自分の子供を観ていたような気分にさせられ、大人になりきれていないなぁと思った」

「1本作れたからいいじゃんね。もう辞めたほうが良い」

というような、息子である宮崎吾朗氏への『最後通告』とも取れる痛烈な批判…。

客観的に見て、親が子供に対する評価と、とても思えないような厳しさを宮﨑駿監督はしていたというのです。

それにしても、仮にも自分の子供が初めて映画監督として、ジブリ作品を手がけたのです。

それなのに、なぜ宮﨑駿監督は、『ゲド戦記』の監督である宮崎吾朗監督を、痛烈に批判したのでしょうか?

その真相までは語られていません。

 

ネットでは、この宮﨑駿監督の『ゲド戦記』批判の理由を色々考え、憶測ながらその理由を語り合っているようです。

例えば、息子の宮崎吾朗氏を見ることで、

宮﨑駿監督自身の劣化を見ているかのような気分にさせられ、がっかりした

という人もいれば、そもそも

『ゲド戦記』が面白い作品ではない

のだから、正直に『ゲド戦記』を評価しただけで、宮﨑駿監督には擁護のしようもなかったという意見を言っている人もいました。

 

『ゲド戦記』は、先ほどもお話したとおり、長編大作である『ゲド戦記』の一部をくり抜いてアニメ化しています。

そのために、ストーリーとしてわかりづらい部分が、たくさんあります。

筆者自身もストーリーを理解し難い部分もありましたし、かなり考えさせられたアニメ作品ではありました。

かなりのメッセージが詰まっていて、それは作品としての奥深さを感じさせてくれるものだと考えていたのです。

しかし、父である宮﨑駿監督まで一刀両断してしまうところを見ると、

『ゲド戦記』が作品としてはどうなのか

と首を傾げてしまいたくもなりますね。

まぁ父が同じ業界で、第一線を走り続けてきた宮﨑駿監督です。

宮崎吾朗監督も、かなりやりづらかったのではないでしょうか。

ただ、その後『コクリコ坂から』を監督として手掛け、宮崎吾朗監督が、それなりに評価をされています。

それを見ると、『ゲド戦記』で一度大きく転びながらも立ち上がり、成長しているようです。

 

『ゲド戦記』は、世間でも評価が割れます。

ただ、ジブリ作品としては、かなり特殊でメッセージ性も高い異色作品です。

これを踏まえて、まだ気になる人は、ぜひDVDで『ゲド戦記』を一度見てくださいね!

追記

『ゲド戦記』が宮﨑駿監督から酷評されていた話は、先程お話したとおりです。

実は、この話には続きがあり、改めて宮﨑駿監督の『ゲド戦記』批判の理由を探ってみると、ある一つの理由が浮かび上がってきました。

 

『ゲド戦記』というタイトルでありながら、主人公はアレンで、ヒロインはテルーですよね。

もちろん、

『タイトルに、主人公の名前が付いていなければいけない』

というルールは存在しません。

ハイタカ(ゲド)は、アレンと関わりを持っているキャラクターであるので、特別におかしな話というわけでもなさそうです。

ただ、『ゲド戦記』原作上では、映画の主人公であるアレンが、ゲドとしての位置づけで描かれている部分もあるらしく、

決して原作と映画で同じ作品ではない

というのが、『ゲド戦記』小説の原作者である、アーシュラ・K・ル=グウィンさんの総意らしいのです。

 

原作上では、ハイタカ(ゲド)が主人公として描かれている明確な違いがあります。

そして、それ以外にも、いくつかル=グウィンさんの意向が軽視されてしまったところがあるらしいのです。

『本来は宮﨑駿さんに映画化してもらいたかった』

にもかかわらず、息子に丸投げされてしまった事もあって、関係性が希薄となり、そのこともあって酷評しているんだそうです。

 

これらはネット上の話をまとめているに過ぎず、どこまでが本当なのかはわかりません。

ただ、少なくとも、

原作小説とアニメ映画は別作品

であることは、多くのファンを含めた意見のようです。

そういったこともひっくるめて、父である宮﨑駿監督が批判してしまったのが、実際のところのような気がします。

まぁ先程お話したように、酷評を受けながらも実績を積むとともに、宮崎吾朗監督も評価されてきています。

今後、宮崎吾朗監督作品で、多くのファンを楽しませるアニメ映画が、観られることを期待したいですね!

 

まとめ

スタジオジブリの宮崎吾朗監督によって、アニメ映画化されたゲド戦記。

この映画は、アメリカの女流SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンの小説を原作としています。

この原作の小説は、『指輪物語』『ナルニア国物語』と並らぶ、世界三大ファンタジーの一つとされるほどの作品です。

『ゲド戦記』は、観る人によっては、メッセージ性の高い作品として評価を得られましたが、宮崎吾朗氏の父である宮﨑駿監督からは、

「一度監督をすればもう気が済んだだろう。」

と、痛烈な批判を受けています。

そんな賛否がわかれる特殊なアニメ映画が『ゲド戦記』だったのです。

それでも『ゲド戦記』は、一度は観る価値はあると思います。

気になる人は、ぜひ一度DVDで見てみてくださいね。

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