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原辰徳が巨人監督を辞めた(退任)本当の理由原因はクビ?それとも…

更新日:

2017年の巨人は、高橋由伸監督になって2年目のシーズンを迎えるわけですが、まだまだ不安要素が多く、

「原のままでよかったなぁ…」

と、原辰徳前監督の退任を惜しむ声が多いようです。

その原辰徳前監督は、2015年に、巨人の監督を退任しました。

ボロボロになった巨人だからこそ、もう少し監督を続けて、巨人を救ってほしいと考えていた方も、多いのでしょうね。

では、なぜ原辰徳前監督は2015年というタイミングで、巨人の監督を退任したのでしょう?

当記事では、原辰徳前監督が、巨人の監督を退任した理由・原因について探ってみようと思います。

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原辰徳のプロフィールをチェック

原辰徳

まずは、簡単に原辰徳前監督についてご紹介しますね。

原辰徳前監督は、1980年にドラフト1位で巨人に入団。

1年目のルーキー時代から125試合に出場するなど、その存在感を発揮。

タイトルこそ、新人王やMVPなど、打撃成績に関するものは取れませんでしたが、総合的に評価が高かった選手と言えるでしょう。

現役時代は、

『若大将』

のあだ名で呼ばれ、巨人の4番として活躍。

通算で、

試合出場 1697試合

打率 .279

安打数 1675

本塁打数 382

打点 1093

と、いう成績を残しました。

王貞治さんや長嶋茂雄さんらと比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまいますが、それでも、この成績は十分に素晴らしいものです。

プロ野球選手は、これまでに実に多くの選手がいましたが、

1500安打は120人ほど、350本塁打は30人いるかいないか

と言えば、その素晴らしさがおわかりいただけるかと思います。

また、原辰徳前監督といえば、選手だけでなく、監督時代も素晴らしい成績をおさめていますね。

原辰徳前監督は、巨人の監督を2回、合計で12年務め、

リーグ優勝 7回

日本一 3回

という、輝かしい栄光を築き上げています。

原辰徳前監督は坂本勇人選手を見出したりなど、選手の潜在能力を引き出すことに長けており、若手の育成にも力を注いでいました。

また、チームの勝利には全員野球が不可欠だとして、

中軸にもバントをさせる

など、チーム一体のプレーを推進してきた人物でもあります。

また、巨人以外では、第2回WBCの監督として、日本代表の兄貴分という立場として指揮し、連覇に導いた実績もあります。

絶不調に陥っていたイチロー選手に対し、

「バントはするな、俺はイチローが見たいんだ」

と声をかけ、イチロー選手のメンタルを救ったというエピソードも残っています。

このように、監督として非常に優れた実績を残した原辰徳前監督ですが、2015年に優勝を逃したことを機に、2度目の退任となりました。

では、具体的になぜ原辰徳前監督は、巨人の監督を退任したのでしょうか?

 

原辰徳が巨人の監督を退任した理由とは?

原辰徳前監督にとって、2度目となった監督退任。

2003年にあった、1度目の監督退任では、シーズンの成績が3位となったこと、三山球団代表(当時)との確執などから、

事実上のクビ

として、原辰徳前監督は特別顧問に就任しました。

しかし、2度目の退任は、調べてみると、どうやら、

自ら退任を望んだ

ようです。

原辰徳前監督は、退任について、2015年のクライマックスシリーズファイナルステージで敗退した後に、

この3年間、なかなか成績が上がらず下降線を辿った。

長年監督をやらせてもらった。そろそろ潮時。

と語っています。

退任会見でこう語った時の原辰徳前監督は、実に穏やかな表情をしていて、

『本当にやりきった』

という想いが溢れていたように思います。

原辰徳前監督が指揮を執った2回が、同じ12年間でも6年で退任し休み、それから2次政権で6年というような区切りであれば、また異なるでしょう。

まだ監督をする気力・体力もあったかもしれません。

しかし、第2次原政権は、10年間も続きました。

さすがに10年も監督をしていれば、

「そろそろ俺ではやれることもなくなった。新しい風を吹かせないとな…」

と感じることもあったはずです。

実際、第2次原政権の巨人は、3連覇を果たしたものの、

  • リーグ優勝したものの、日本シリーズで楽天に敗退(2013年)
  • リーグ優勝したものの、クライマックスシリーズファイナルステージで阪神に敗退(2014年)
  • ペナントレースでヤクルトが優勝し、巨人は2位となる(2015年)

という成績です。

『下降線を辿った』

という原辰徳前監督のコメントも、間違ってはいません。

さらに、2015年には優勝を逃しただけでなく、野球賭博問題で巨人のブランドは大きく揺らぎました。

このように、2015年の巨人には、転換期となるべき要素が複数重なっていたのです。

これらの要素と、第2期原政権が10年という節目を迎えていたこともあり、原辰徳前監督は、

退任

という道を選んだのだと思います。

ただ、時期が悪かったがために、一部野球ファンからは、

「賭博問題で名前が出されたから、逃げたかもしれない」

「面倒なことを全て由伸に押し付けたな」

と、原辰徳前監督を懐疑的な目で見る人も…。

たしかに、原辰徳前監督も、反社会組織とかかわりがあるかもしれない、ということを、週刊誌が記事にしていました。

また、同じく週刊誌の情報になってはしまいますが、原辰徳前監督は、退任の条件に、

高橋由伸選手を監督にしなければ、退任しない

と、当時、松井秀喜さんを監督候補としていた巨人球団側に申し入れた…

そんな噂も聞いています。

何事にも、全て裏があると思ってしまうと、こういった理由があってもおかしくはないと考えてしまいます。

しかし結局のところ、我々に裏事情などはわかりません。

なので、あまり深く考えず、原辰徳前監督の退任は、

世代交代のための退任だった

と考えるのが、自然かと思いますよ。

 

まとめ

巨人の監督を2期12年務めた原辰徳前監督は、2015年に監督を退任しました。

その表向きの理由としては、優勝を逃したことがあるようですが、

世代交代

の意味合いが強かったようにも思います。

それにしても、筆者が気になるのは、退任後の原辰徳前監督についてです。

現在は、趣味のゴルフを楽しんでいるようですが、第1次原政権で退任した際は、原辰徳前監督に特別顧問という肩書きが与えられましたよね。

しかし、第2次原政権の退任後は、そういった肩書きは一切なく、

「しばらくフラットな状態で縛られずに自分の生き方や、やりたいことを見つけたいという原監督の考えを尊重しようと思う」

と、巨人球団側も、原辰徳前監督を自由にしているようです。

どうにも、原辰徳前監督と巨人との間に、何らかの溝があるように感じてしまうのは、筆者の邪推でしょうか…。

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