星々の煌めき

インターネットの中に漂流する今をときめくネタを語ります!

ドラマ

わたしを離さないで最終回ネタバレと結末!視聴率と続編の可能性

更新日

最初から最後まで、重苦しいテーマを抱えながらストーリー展開され、賛否が真っ二つに分かれてしまったTBSドラマ『わたしを離さないで』。

あくまで『わたしを離さないで』のコンセプトは、『生きるとは?』という、生命の大切さを訴える重いテーマでしたね。

しかし、それは仮の姿で、『わたしを離さないで』というドラマの受け取り方次第では、

「どんな不遇も受け止め、必死に生かされろ」

という残酷なドラマにも感じます。

確かに、『わたしを離さないで』最終回で、ようやく蜘蛛の糸が垂れ落ちるくらいの、救いはあったようにも見えました。

ですが、結局、恭子が命を捨てることを考えるほどの、救いの無いドラマとして幕を閉じました。

本記事では、その絶望の中のごく僅かな救いを中心に、『わたしを離さないで』最終回のストーリーネタバレ・結末をご紹介し、続編の可能性も考えてみたいと思います!

スポンサーリンク

アドセンス

『わたしを離さないで』最終回のストーリーネタバレ

わたしを離さないで

わたしを離さないで

『わたしを離さないで』8話で、命のバトンを受け渡すかのように、美和から恵美子先生の住所が書かれたメモが渡され、猶予を勝ち取って欲しいと託された願い

『わたしを離さないで』9話で、そんなものが存在しないと、絶望にさせられ最終回を迎えたドラマ『わたしを離さないで』

『わたしを離さないで』最終回では、遂に友彦に3回目の提供通知が訪れ、命の終焉を迎えようとしていく中、友彦はますます自暴自棄になります。

3回目の提供によって、自分の身体を動かすことすらままならなくなり、惨めになっていく姿を見せたくない、と恭子を避けはじめます。

そして、遂に

「介護人を辞めてくれないか」

とまで言ってしまうのです。

あれだけ愛し合っていた2人の絆をも引き裂く提供という使命…

人間のエゴのために、まるでロミオとジュリエットのように愛しあう2人が引き裂かれていくなんて、これほどの悲劇があって許されるものなのでしょうか…

正直、彼らのことを思うと、本当に言葉が出ませんでした。

さて、そんな絶望感満載な中、恭子は、偶然にも龍子先生と出会います。

そして、今の状況を全て打ち明け、龍子先生の提案で、友彦をサッカー観戦に連れて行きます。

とはいってもJリーグなどのプロサッカーチームの試合ではなく、ただの少年サッカーの試合でした。

しかし、これにはちゃんと意味がありました。

実は、この試合に出ている『ひろき』という少年の父親は、かつて、陽光学苑に在籍していた広樹(子供の頃陽光学苑の門の外に飛び出したため即時解体され、臓器提供に出され、この世を去った少年の一人)から、子供時代に心臓を譲り受けた人物でした。

この、『ひろき』という少年の父親は、後に結婚し、子供も生まれ、今を生きることができています。

もし幼いころに、広樹少年から心臓をもらっていなければ、確実に命は失われていたはずですし、結婚して子供が出来る喜びを味わうこともなかったでしょう。

まさに、広樹少年は、天使として使命を全うし、一人の男性の命を救ってくれていたのですね。

そして話は、ここで終わりではありませんでした。

この男性は、自分の命を救ってくれた臓器提供者のことを知りたいと、大人になってから、いろいろ調べ始めます。

そして、龍子先生と出会い、協力をもらいながら調べていくと、陽光学苑にいた、あの広樹少年だったことが判明します。

龍子先生は、男性に、広樹少年のことを語りはじめました。

当時、ワルガキでやんちゃだったことや、ロベルト・バッジョ選手に憧れを持っていたことなど、数々の話が聞かされたそうです。

それがどう響いたのかは、龍子先生自身わからなかったそうですが、後に、彼に子供が生まれた時に、広樹くんからもらった命だからという理由で、

「子供の名前をひろきと名づけました」

と連絡が入ります。

我が子にその名を刻み、命のありがたみと、そのバトンを繋いでくれた提供者達の尊い犠牲に感謝している姿が、その行為からよく伝わります。

そして、そのことを受けて、龍子先生は、こう話を続けます。

『あなた達の命が役に立っていますといったところで、所詮人間のエゴでしかなく、それが何?という話にしか聞こえない…』
『しかし、それでも、私はこの話を聞いて少し救われた。そこに感謝があることに…』
『生まれてきてくれてありがとう』

このような言葉が友彦と恭子に語られていたのです。

きっと、龍子先生は、自暴自棄になってしまった友彦に対して、あなた達が生まれてきてくれたことや、臓器提供してくれて今を生きることができ、今、命が存在していることに、感謝している人が少なからずいるのだと伝えたかったのではないでしょうか。

生まれ持って不遇な人生を歩まされ、国家権力や一部の愚かな年配者たちによって、絶望の中を生きている弱者はたくさんいます。

しかし、その中でも一部の人間は、あなたが生まれてきてくれたことを喜び感謝してくれている…

決して一人ではなく、誰かに必要とされ愛され生まれてきているのだと、最後にそのことだけは、ドラマ『わたしを離さないで』を通じて伝えたかったのかもしれませんね。

そこは唯一の救いのように感じた次第です。

ただし、だからといって、『わたしを離さないで』最終回で、救われたとは筆者は考えてはいません。

あくまで、このエピソードは、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』で描かれた、地獄の中で蜘蛛の糸がたらされたシーンのように、絶望という地獄の中で、唯一希望という光の蜘蛛の糸がたらされたようなもので、それが、遺された恭子に幸せをもたらしたものではありません。

事実、友彦は、この後、提供によって、命の終焉を迎えます。

この提供の後、友彦は…

この提供の後、友彦は…

そして、一方では、恭子の介護を受けながら何かと精神的支柱として、恭子の相談役となっていた加藤(役:柄本佑)も提供者としての役目を果たし、命の終焉を迎えます。

噂では珠世(役:馬場園梓)も提供を終え、亡くなったらしく、遂に恭子だけが遺された状況となってしまったのです。

それは、恭子にとって重くのしかかってしまう悲しい現実でした。

周囲が続々と提供者としての使命を遂げ、この世を去っていく中、自分だけが未だに提供通知すら来ない…

本当なら、一刻も早く友彦のもとに旅立ちたいのに、それすら許されない状況で、まさに地獄絵巻そのものだったのかもしれません。

そして、命の終焉を決意したのか、恭子は思い出のバッグと共に、のぞみが崎を訪れます。

そこには恵美子先生が先に訪れていて、恭子達が陽光学苑時代に渡されていたバスケット(思い出の品を入れておく箱)の秘密を明かしてくれました。

このバッグは、今となっては、恭子に重荷を押し付けてしまうようなシロモノとなってしまいました。

しかし、恵美子先生の意図としては、身体は臓器提供に出されて奪われてしまうけど、心(思い出)だけは、決して奪われないのだということを伝えたかったようです。

そして、その思い出の品を心の拠り所に、強く生きていって欲しいと願っていたのです。

もちろん、その一方で臓器提供のために命を奪っているのも事実で、人間の身勝手で矛盾した話といえるでしょう。

恵美子先生は、自分の父がしでかした大罪(クローンを生み出してしまったこと)を後悔し、少しでもクローンとなる子どもたちが救われて欲しいと願っていた…

ようやく最後にそのことが少しだけ感じられたような気がします。

そして、恭子が、この時、命を捨てることを決意していたことも、恵美子先生はなんとなく見抜いていたような気がします。

だからこそ

「自分の家に来ないか?」

と誘ったのかもしれませんね。

最後に、恭子は、

「後ほど(恵美子先生の自宅へ)伺う」

と言って別れ、大切な思い出の詰まった箱と、靴を浜辺に置き、海の中に身を投げます。

ただ、偶然にも、弔いとして、海に流した友彦のサッカーボールが、まだこっちに来ないで!と言っているかのように、恭子の下にたどり着きます。

そして、そのサッカーボールを抱きしめ涙すると、恭子は再び浜辺に引き返し、自身の靴と思い出の箱を手に取ると、友彦の遺品であるサッカーボールと共に、また浜辺を歩き始めていくのでした。

おそらく、この後、恵美子先生の自宅を訪れ、友彦の分も生きることを考えていくのでしょう。

『わたしを離さないで』原作上では、提供通知が恭子の下に届き、そこで終わっていきます。

しかし、ドラマ『わたしを離さないで』では、まるで希望の光を差し込ませようとするかのように、かなり表現が変わっているように思えます。

それが、よりバッドエンドとなっていくように感じてしまうのも一つの感じ方で、なんとも言えない部分だと思いますが、とりあえずどう響くかは、また後ほどお話するとして、これで全てが終わった、ドラマ『わたしを離さないで』でした…

 

『わたしを離さないで』の結末と最終回視聴率は?

わたしを離さないで

わたしを離さないで

何度となく物議を生んだTBSドラマ『わたしを離さないで』は、限りある生命がある中、それでも、必死に命を紡ぎ上げることの大切さを伝えるドラマとして、描かれていました。

ただし、その割には、無残にクローンである恭子達が傷つけられ、慈悲の心もなく提供にまわされていく…

それでも必死に生きていくんだ、ということを『わたしを離さないで』は訴えたかったのだと思いますが、どうしてもただの綺麗事にしか感じられなかったのは筆者だけでしょうか?

真美が命がけで

『私達も生きている』

と訴えても、誰ひとりとして、

『だから何?』

という顔をして、彼女を滑稽に見下し続ける姿は、まるで違和感だらけの風景でした。

命の大切さと言うよりは、冒涜以外の何物でもないと思えて仕方ありません。

そんな中、『わたしを離さないで』最終回を迎え、結局、恭子は最後の一人として取り残されてしまいます。

彼女の中で完結した一つの答えとしては、人間もクローンも同じ限られた時間を生きている生命体でしかないということだったのです。

それは、最後の恭子の語りで明らかにされました。

『所詮、人間なんて、限られた命の中でしか生きられない…』

『それが、提供者として期限を突きつけられているか、期限を知らされることなく生きているかの違いでしかないのだと…』

確かに、恭子の言う通りですよね。

何かと健康のことを気遣い一日でも長く生きようとする現代社会の人々ですが、それでも、この世に生まれてきた命は最後に終焉を迎えます。

だったら、提供を受けて長く生きることを考えること無く、生きている間に充実した人生を送る方が大切であると思うのですが、人間はそれを考えることが出来ずに、自分が生きながらえるために、ありとあらゆるものを犠牲にし続けている…

本当につくづく人間が未熟な生き物だと感じさせられますね

さて、そんなドラマ『わたしを離さないで』の結末ですが、ここからは、筆者独自の感想も交えながら結末を語っていきます。

友彦や美和たちにとっては、確かに若干救いのようなものはあったのかもしれませんが、正直なところ、恭子に対しては、最後の最後まで救いは無かったように思います。

友彦と別れの間際で悲しみ、胸が張り裂けそうになる恭子…

友彦と別れの間際で悲しみ、胸が張り裂けそうになる恭子…

友彦と最後の夜を迎え、別れの言葉が交わされたあのシーンは、涙なしでは観ることが出来ませんでした。

おそらく恭子自身、完全に心が折れた瞬間(命を捨てることを決意した瞬間)だったのではないかと思います。

しかし、恭子の下には提供通知も届かず、弔いとして、友彦のサッカーボールを海に流し、その後に命を絶とうとしたものの、そのサッカーボールに、その命を捨てる行為を止められ、恭子は命を捨てる自由さえ与えられませんでした。

そして結果、今を生かされているわけですから、それは、とてもわたしたちが想像できないほどの地獄絵巻となったことでしょう。

『わたしを離さないで』のラストの部分でも登場する、思い出がたくさん詰まった箱(バスケット)には、自身が介護を務めた提供者・加藤のメガネが遺品として加わり、蓋が閉まらなくなってしまうほど、思い出が溢れてしまいました。

それは、恭子にとって、ある種、重荷となり、彼女の心を蝕んでしまうこととなります。

その心情が如実に表されていたのが、恵美子先生とのぞみが崎で再開したシーンに表れていました。

このシーンでは、恵美子先生が、恭子の持っていたバスケットに気が付き、そのことを訊ねていましたが、恭子が

「陽光時代に恵美子先生から頂いたものだ」

と答えると、そのことを我がことの様に喜びます。

その理由は、先ほどお話した通り、誰にも奪われない思い出を、心の支えとして欲しいと願っていたからであり、何かと不遇な運命を背負わせてしまった恭子達が、思い出という心の支えだけは失くしていなかったと、ほんの少しの救いが見られ喜んだのです。

ただ、その話を恵美子先生が恭子にした直後、

「みんなの忘れ物を預かっているみたいです。誰も取りに来ないのに…」

という言葉を恵美子先生に発してしまいます。

それは、まさに、遺された恭子自身が、今を生きていることそのものに対して重荷であると感じていることを象徴とした言葉のように感じられます。

おそらく恵美子先生も、そのことをつぶさに感じ取ったのでしょう。

明らかに、恭子のこのセリフを聞いた瞬間、どこか凍りついたような悲しい表情に変貌していました。

恭子の言葉に効率いた悲しい表情を浮かべる恵美子先生

恭子の言葉に効率いた悲しい表情を浮かべる恵美子先生

そして、恭子が命を捨てることを食い止めるため、自宅に恭子をまねこうとしたのだと筆者は考えています。

しかし、恭子の気持ちは固く、

「後ほど伺います」

と一言残し、恵美子先生と別れ、一人浜辺へ向かい、靴と思い出の詰まった箱(バスケット)を浜辺に置き去りにして、一人海に身を投げてしまうのです。

ただ、友彦のもとに向かおうと、海に身を投げ、命を絶とうとした恭子の下に、偶然にも弔いとして流した友彦のサッカーボールが流れ着きます。

それは、まるで友彦が、

「まだ、こっち(あの世)の世界に着ちゃダメだ」

と、恭子に告げているかのような現象で、恭子はそのサッカーボールを抱きしめながら涙すると、命を捨てることを悔い改め、友彦のサッカーボール・バスケット・靴を抱え、また浜辺を歩き始めるのでした…

多少、前述のネタバレと重なっている部分もありますが、これが『わたしを離さないで』の結末でした。

何度も言いますが、おそらく恵美子先生と友彦の遺品(サッカーボール)がなければ、恭子は終焉を迎えていたことでしょう。

それは、原作『わたしを離さないで』で、恭子の下に提供通知が訪れ、終わっていくストーリーよりも、残酷な結末となってしまうことと思います。

しかし、ドラマ『わたしを離さないで』上では、恵美子先生と友彦の遺したサッカーボールが防波堤となり、恭子の終焉を食い止めてくれました。

それは、恭子にとって、幸せかどうかと聞かれると、決して幸せなこととは言えないでしょう。

人間、生きていると苦しいことの連続で、ほとんど幸せを感じることができないこともあります。

最も簡単に、この苦しみから逃げるのは命を捨てて、この世と決別することですが、自分一人でこの世に生まれてきたのならまだしも、いろんな想いがあって生まれてきた命ですから、簡単に自分で命を絶つことは、やはり許されません。

恭子もきっとまだ終焉を迎えることは許されず、今を生きることとなってしまったのでしょうね。

ドラマ上、ラストシーンが原作『わたしを離さないで』と変わり、そのことがより残酷と受け止められるのか。

それとも、救いがあったと感じるのかは、視聴者によって大きく変わるかと思います

これを不幸と、ネガティブに考えることも十分可能ですが、せっかくなら救いがあったと信じ、少しでもポジティブに捉えたいと思えた次第です。

さて、ドラマ『私を離さないで』最終回の視聴率ですが、残念ながらまだ発表はされていません。

やはり、賛否が真っ二つに分かれた作品ですし、『わたしを離さないで』のこれまでの視聴率もすこぶる悪かったことは明確な事実ですから、最終回もあまり期待はできないと思います。

まだ視聴率の発表はされていないため、なんとも言いがたいところがありますが、最悪視聴率5%台に突入してしまう可能性も残っているでしょう。

なお、この『わたしを離さないで』最終回の視聴率は、後ほど分かり次第、追記という形で、本記事でご紹介していきます。

皆さんお楽しみに。

追記:

『わたしを離さないで』最終回の視聴率が判明しました。

視聴率は、6.7%と、かなりの低水準での着地となってしまいましたね。

ある程度、事前に視聴率は良くないだろうな、ということが予想できましたので、そこまでショッキングな話ではありません。

むしろ健闘したのではないかといえます。

このあまりにも救いが少ない『わたしを離さないで』。

このドラマを放送したことが、後に黒歴史化されないことを祈るばかりです。

 

『わたしを離さないで』の続編の可能性は?

わたしを離さないで

わたしを離さないで

ドラマ『わたしを離さないで』は、原作と異なる部分が多少見られるものの、一通り結末を迎え、メッセージとして伝えたかった、

『限りある生命の中でも、命の大切さを忘れず希望を持って生きよう!!』

という内容も、とりあえずは伝えきったものと思います。

もちろんそれは伝え手の発想でしか無く、多くの視聴者たちは、『わたしを離さないで』を残酷なドラマとしか見ていないところがあります。

これでは決して想いが伝わっているとは思えませんが、これ以上、この手のドラマを放送したとしても、一部の視聴者を除いて、批判が殺到するだけだと思います。

何よりも、このドラマ『わたしを離さないで』を評価していた一部の視聴者が語る、

『いつまでも続く年功序列社会、権力主義社会による若者たちの命の搾取からの脱却』

という意見も、続編をやれば、国家権力や年配者、男性を虐待する女性達(その逆もしかり…)から反感を受けるでしょう。

もしかしたら、おかしな風に伝えたかった意味を間違えられてしまうなんてこともあるかもしれません。

事実、マスメディアに対して不当とみなすものは排除しようとする動きを見せ、そのことが大きな問題となってしまってもいます。

このブログなどでも、少しでも批判めいたことを言えば、どこかからか潰されてしまう恐れだってあるわけで、とても『わたしを離さないで』のようなドラマをリスクを犯してまで続編として放送されるとは考えられません。

大体、勧善懲悪として放送され、流行語として一大ブームになった「半沢直樹」放送後も、未だに悪が栄える時代が続いています。

それが何かとはあえて言いませんが、こういう人に限って、何か自分たちに災難が降りかかると、被害者面して、擁護してもらうように取り計らい、そのしわ寄せを権力のない弱者に全て押し付けるところがあります。

そして、その被害者という立場を、水戸黄門の印籠の様に突きつけ、何かと優遇を求め、好き勝手に相手を責め立てる身勝手な輩も続出しているのが現状です。

そんな流れは、たとえ大震災が起きようが、世界が破滅になったとしても、おそらくは消えることありません。

本当に一部のまっとうな人間が、このような輩に完全に翻弄され、悩みながら今を生きていくハメに陥るのです。

だからこそ世の中を変えようと奮闘し、その結果、いたずらに人の心を土足で踏みにじるようなことは二度と行わず、『わたしを離さないで』のようなドラマは、完全に封印して欲しいと願うのが、筆者の素直な意見であり、続編なんて二度とゴメンであると、声を大にして言いたいのです。

おそらく、大多数が『わたしを離さないで』の続編はやめて欲しいと、心から願っていることと思いますし、間違ってもこの手のドラマを放送しようと考える局は、二度と現れないでしょう。

『わたしを離さないで』の視聴率そのものもかなり悪いですし、本来なら8話打ち切りも、十分考えられるほど低調なドラマでした(他のドラマがひどすぎて、酷評の矢面に立たされていなかったのが救い)。

テレビ局とても、リスクを犯して続編はありえないでしょうね。

あくまで、この『わたしを離さないで』は、ここで終わりであり、もう二度と続編は放送されないと思いますし、続編放送は、タブーを犯す禁忌であると声を大にして言いたいものです。

 

まとめ

ドラマ『わたしを離さないで』の最終回は、やはり予想通り、大人や政治的に優遇された一部の女性・会社社長・政治家などの権力者が、政治的に権力を持てない若者たちの命を平気で搾取している今の社会を象徴するような救いのないドラマでした。

彼らの殆どは、搾取していることすら気付かず、自身の行動に罪の意識すら感じない救いようの無い人間たちばかりですが、そんな中でも、犠牲となる者達に感謝して生きている人もいることが分かり、『わたしを離さないで』の中で、ほんの少しだけ救われたような気がします。

ヒロインである恭子は、結局命を捨てる自由すら与えられず、生き続けていくことになりました。

もうドラマ『わたしを離さないで』は完結とし、二度と続編が放送されないことを願うばかりです。

わたしを離さないでの記事はコチラもよく読まれています!

わたしを離さないで1話ネタバレと視聴率!2話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで2話ネタバレと視聴率!3話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで3話ネタバレと視聴率!4話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで4話ネタバレと視聴率!5話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで5話ネタバレと視聴率!6話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで6話ネタバレと視聴率!7話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで7話ネタバレと視聴率!8話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで8話ネタバレと視聴率!9話ドラマストーリー紹介

わたしを離さないで9話ネタバレと視聴率!最終回のストーリーは?

わたしを離さないでの原作ストーリーネタバレとドラマロケ地紹介!

スポンサーリンク

アドセンス

アドセンス

-ドラマ