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千羽鶴の由来や意味を紹介!送られて迷惑という意見の理由とは?

更新日

大きな願い事を叶えるため、願掛けの一種として、縁起が良いとされる折り鶴に、願いを込めて贈られる千羽鶴。

重い病気を抱えている人や、災害など不慮の事故で苦しんでいる人たちに対して、千羽鶴を贈られているシーンをたまに目にしますよね。

しかし意外にも千羽鶴が忌み嫌われている、なんて話もあり、中にははっきりと

「迷惑」

「偽善」

と言っていたり、せっかく千羽鶴を贈ってくれた人たちをバッシングする声もあるそうです。

本当にただ救われて欲しい一心で、まごころを込めて千羽鶴を贈っているのに、迷惑なんて悲しい話ですよね。

本記事では、千羽鶴の由来や意味を探りながら、何故ここまで批判的な意見が出てしまうのか、その愕然となる背景、それに対する反対側の意見をぶつけさせていただきます!

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状況に応じて忌み嫌われる千羽鶴

千羽鶴

千羽鶴

みなさんは、千羽鶴がどういうところで見られるか知っていますか?

『そんなこと知っている!』

と、叱責を受けるかもしれませんが、意外なことに千羽鶴が、一部の人から忌み嫌われている話を耳にすることで、意外と千羽鶴が折られる理由や由来を知らない人がいるのでは?と思うのです。

千羽鶴は、大病を患った人が、病気を克服できるように贈ってもらったり、震災などの被害者が、『早く復興できるよう頑張ってね!』という願いを込めて贈ってもらうイメージを持っている人が多いかと思います。

しかし、

『千羽鶴を贈ってもらっても、何の役に立たないゴミみたいな存在』

と言われてしまうのです。

また、

『変に同情されて、惨めで悲しい』

と迷惑がっている人もいるそうです。

そこが千羽鶴が

忌み嫌われている理由

の一つだと思うのですが、それなら何故、千羽鶴が折られているのか。

そもそも何故、鶴なのか、全く意味がわかっていないからこそ、そのようなネガティブな思考が生まれるのではないでしょうか。

千羽鶴の由来や意味は、後ほどお話しますが、決して意味のないものでもなければ、ネガティブなものでもありません。

それどころか、あなたのことを想い、多くの人たちが願いを込めて折ってくれる、ありがたいものです。

確かに、千羽鶴を貰ったから、今すぐに劇的に何かが変化することはありません。

一種のお守りみたいなものとして、千羽鶴があるのです。

しかし現状としては、クレームを付けられるほど、一部の人から忌み嫌われてしまっているのですから、本当に悲しい話です…

 

千羽鶴の由来・意味は長寿への願い!

千羽鶴とは、

人の願い

がたくさん詰まった崇高なものであると思うのですが、何故かクレームが飛び交っている…

果たして、

『どれだけの人が千羽鶴の由来や意味を理解できているのだろうか?』

と、ただ首をかしげたくなるばかりです。

『所詮、千羽鶴はゴミ』

と言われればそれまでで、悲しいことに、それが現実かもしれません。

しかし、今一度、千羽鶴の由来や意味を理解してほしい気持ちが筆者にはあります。

それでは早速、千羽鶴の由来から見ていきましょう。

元々千羽鶴とは、先程お話したとおり、病気や震災などで苦しんでいる人に対して、

『少しでも救われて欲しい』

『また元気で明るく幸せになってほしい』

と、願いを込めて、たくさんの人が折り鶴を折り、糸に通してまとめたものを言います。

そんな千羽鶴が風習として始まったのは室町時代

当時は、折り鶴そのものが遊びとして誕生し、その一環として千羽鶴は誕生しました。

そして、その風習が江戸時代になると、

『鶴は千年、亀は万年』

の故事・ことわざになぞらえて、少しでも長生きしたいという長寿の願いから、千羽鶴が折られるようになっていったそうです。

つまり千羽鶴というよりも、折り鶴そのものを

長寿のシンボル

として捉え、

鶴を折ること = 少しでも長く生きられること

と考えられていたのでしょう。

まだ当時は、医療技術が進歩していないことから、結核などが不治の病とされていました。

江戸時代では、子供が順調に成長し、大人になることができないことも珍しくありませんでした。

そして、最近の研究では、江戸時代の平均寿命も大体30~40歳と、かなり短命と言われているそうです。

『鶴を折ることで長生きできる』と江戸の庶民が考えてしまうほど、鶴は長寿のシンボルとして縁起の良い生き物です。

だからこそ、千羽鶴を折って、自分たちもさることながら、とくに子供たちが少しでも長く幸せに生きていって欲しいと、祈願されていたのかもしれませんね。

 

そして、この千羽鶴は、ある人物によって非核・平和のシンボルとして、広島の原爆ドームに贈られるようになります。

みなさんは、『原爆の子の像』のモデルが誰なのか知っていますか?

原爆の子の像と平和の象徴として飾られた千羽鶴

原爆の子の像と平和の象徴として飾られた千羽鶴

おそらく現地である広島の人たち以外は、ほとんど知らないかと思います。

その人物とは佐々木貞子さん。

彼女は2歳の時に、広島の原爆で被爆し、12歳で急性白血病と診断され、9ヶ月の闘病生活の末、この世を去りました。

はっきり言って、戦争が原因で原爆を被爆し、その結果、生きることを奪われたことは、悔しかったことと思います。

しかし、佐々木貞子さんは『鶴を千羽折ると願いが叶う』と信じ、夜も眠らず、

『生きたい』

と願いを込めながら、薬の包み紙などで鶴を折り続けたそうです。

12歳といえば、まだ中学生(現在で言うところの…)にも満たない子供です。

そんな子供が、1日でも長く生きたいと、白血病と闘いながら、その中で夜も眠らず、必死の思いで鶴を折っていたなんて、そんな悲しい話はそうそうありません。

その気持ちは、国内外の人たちの心に響き、佐々木貞子さんが亡くなった後に、

『広島平和を築く児童生徒の会』

が発足され、国内外から多額の募金が寄せられたそうです。

そして、その募金によって、

1953年5月5日(こどもの日)

に、『原爆の子の像』が作られ、広島の平和のシンボルとして立ち続けています。

その『原爆の子の像』には、今もたくさんの千羽鶴が贈られているそうです。

その中には、

戦争をして、その結果、命を傷つける子供を出してはいけない(再び被爆者を作らない!)という誓い

子供たちが、大人たちの争いごとに巻き込まれることなく、すくすくと育ち、幸せに1日でも長く生きて欲しい

という願いが込められています。

だからこそ、千羽鶴は崇高なものとして、お見舞いや慰安のために贈られているわけです。

 

さぁここまで話を聞けば、いかに千羽鶴に意味のあるものなのか、分かってもらえたことでしょう。

端的に言えば、千羽鶴は多くの人達に1日でも長く幸せに生きて欲しいと願いを込められる象徴であり、また平和のシンボルなのです。

震災で多くの被災者が亡くなった熊本大地震、東日本大震災、阪神淡路大震災…

その他にも、歴史を遡れば伊勢湾台風、中越地震など、これまで日本では、数々の自然災害で犠牲になった人々がいます。

そんな悲惨な状況を見て、人は幸せを感じることができるのでしょうか?

少なくとも、筆者は幸せなんて感じません。

ただ悲しいだけで、生きていることそのものに虚しさまでも感じてしまいます。

確かに綺麗事と言えば、それまでなのかもしれません。

しかし、千羽鶴は、そういう人たちに生きる勇気を与えるものです。

そして多くの被災者たちが、後に時間を掛けて復興していったように、亡くなられた人たちの分も、1日でも長く生きて、幸せになろうとする…

それだけ意味のあるものなのです。

ここまで聞いても、まだ千羽鶴は綺麗事でしかない、邪魔な存在と批判するのでしょうか?

命がけで千羽鶴を折った佐々木貞子さんを、みなさんは馬鹿な女と切り捨てるのでしょうか?

少なくとも筆者にそんな愚かなことは、全くと言っていいほど考えられません。

確かに、いくら願いが込められたからといっても、折り鶴で紙でしかありません。

千羽鶴は、有害なゴミで大迷惑な存在と言えば、それまでなのかもしれません。

実際に、広島平和公園に毎年のように贈られてくる千羽鶴に対して広島市は、

1億円もの税金をかけて焼却していた

という話ですから、結果的には税金の無駄遣いに繋がっています。

平和の象徴のはずの千羽鶴が、役に立たない燃えるゴミという形で環境問題になってしまっているため、それは批判されても仕方がないのかもしれません。

 

また、ハイチ地震の際には、日本で『mixi』を中心に、千羽鶴を贈ろうという試みが行われようとしましたが、ハイチで復興支援に当たった日本人スタッフは、

「迷惑」

とはっきり明言したこともありました。

このように、タイミングを間違えば、千羽鶴は迷惑になるものでもあり、無知な善意が、時に復興の妨げになってしまうこともあります。

しかし、鶴自体には何も非がありません。

原爆のような人災だったとしても、広島・長崎以外の人たちが突然原爆を落としていったわけではなく、彼らも戦争に加担し、その中で戦争を引き起こした代償として、原爆は投下されています。

広島・長崎に原爆が落ちたことは、悲劇以外の何物でもありません。

ただ、それは場所だけの話であり、原爆が日本に投下されたのは、ある意味、因果応報とも言えます。

しかし、もちろん、原爆は非人道行為。

当然ながら、責められるべき存在は、いまだに原爆投下を正当化して、頭の1つも下げないアメリカだと思います。

その事をどれだけの人が理解しているのでしょうか?

鶴が原爆を落としたのですか?

そんな訳がありませんよね。

なのになぜ、千羽鶴が批判されるのでしょうか?

今一度、千羽鶴の由来・意味を、よく考えてほしい…

筆者としては、そう思うばかりです。

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千羽鶴に対する意見は賛否両論

千羽鶴には、少しでも長生きして欲しい、または震災や人災・災害などで被害に遭わず、幸せな人生を歩んで欲しいという願いが込められています。

それは先ほどの話でも理解してもらえたと思います。

しかし一部では、

『意味や由来にあったそんな気持ちなんてどうでもいい』

『千羽鶴を贈られても迷惑なだけだ』

と切り捨てる人たちもいるようです。

本当にただ悲しいばかりです。

実は、先日発生した熊本・大分に被害が及んだ大震災で、

『千羽鶴を贈られて非常に迷惑で偽善の押し売り(または売名行為)である』

と、クレームが飛び交い、Twitterなどで千羽鶴の物議が生まれていました。

そのことは早速ながら、論争の発端となり、だったら、

『熊本・大分に一切の支援をしなくていい!』

という人まで現れてしまったほどです。

確かに、どちらの言い分もわからなくはありません。

 

被災して住む場所もなく、学校の体育館などで寝泊まりされている状況下で、明日をどうにかしなければならない…

そんな時に、千羽鶴が贈られてきても、鼻かみ程度にしか使えない紙切れと思ってしまったら、もうどうして良いかわからず、困ってしまうのもリアルな姿なのでしょう。

実際に、支援物資を仕分けることにも労力がかかります。

被災地に千羽鶴が贈られてきても、無駄な労力が増えるだけという話も、正直なところなのかもしれません。

一方で、震災によるショックから、少しでも立ち直って元気になってほしいと支援している姿も本当の姿です。

その象徴として千羽鶴が被災地に贈られているわけで、それをゴミだとか迷惑だとかと言って、一刀両断できる神経は、筆者としては全く理解ができません。

千羽鶴

千羽鶴

たとえ迷惑と思っていても、もう少し言い方があるはずです。

もちろんこれは熊本だけではなく、東日本大震災の時に被災した東北においても言えることです。

 

避難所に千羽鶴が届けられたとしても、飾る場所もなく、どう処理していいかわからないという気持ちがあることは分かります。

だったら、

『今は贈ってもらえてもどうすることもできないから、これ以上は控えて欲しい…でも気持ちは届いている』

と言えば良い…

何故、素直にそう言えないのでしょうか?

善意に対しては、誠実な心を持って返すのが礼儀だと思います。

被災者だからということで、何をしても許されると勘違いしている人が多いように思えて仕方ありません。

今回の震災然り、東日本大震災然り、阪神淡路大震災然り、これらは他府県の人が引き起こした

人災ではありません。

たとえ、そのことによって、復興のための国の税金が増えてしまったとしても、文句を言うつもりもありませんし、そのことは受け入れます。

また、共に復興していこうという気持ちから、筆者も募金をしたこともありました。

でも、そんな気持ちをよそに、

『私たちは被災者様だ!さぁ復興支援として、金を貢げ』

と言わんがばかりに、まるで水戸黄門の印籠を振りかざすような真似をする輩がいるのは、あまりにもひどすぎます。

もちろん、被災者の多くは、人の真心に感謝してくれていることと信じています。

しかしそれでも、人の親切な気持ちを土足で踏み荒らす人がいることも事実です。

その事に対して、他の被災者が咎めるわけでもなく、一緒になって声を挙げている…

その事に筆者は驚きを隠せません。

だったら、二度と被災者を支援しなければいいし、そんなに迷惑と文句を言うなら自力でなんとかしたらいいでしょと考えてしまうようになります。

国の支援も、国民の税金で賄われています。

現在、被災者ではなく生活保護を受けずギリギリのところで生きている人たちだって、自分たちの生活を一生懸命に過ごすことに力を注げるわけですし、被災者たちとともに苦しむ必要性もありません。

それが本当に正しい姿かというと、全く違うとは思います。

ただ、そのように考えて、

支援を打ち切った人たちも現れはじめました

まぁこのような話をすると、当然のごとく『被災者の気持ちがわかっていない』と猛烈にバッシングされるのでしょう。

しかし逆に、今できることを必死に考え、

支援している人たちの気持ち

を考えたことがありますか?

確かに千羽鶴で、お腹が膨れるわけではありません。

しかし、原爆投下により白血病にかかってしまった12歳の少女は、1日でも長く生きたいと夜も眠らず千羽鶴を折っていました。

千羽鶴を贈ってくれた人たちの中には、その事を理解し、なんとか心の支えとなりたいと1日でも早い復興と、被災した多くの人たちが、早く元気になって欲しいと祈ってくれているのですよ。

その気持ちは無視してしまうのですか?

それこそ、人の気持ちなんて何もわかっていない…

ということではないのでしょうか?

自分たちだって、いつ震災を受けるかわかりません。

そういう時に、

「誰かに支えて欲しい…」

と願う気持ちも出てくるでしょう。

もちろん、それだけをあてにしているわけではありませんが、心細く不安な毎日を過ごしていれば、誰だって他の誰かに頼りたくなるものです。

そういう気持ちがわかるからこそ、今できることで支援したいと考え、生活を切り詰めながら、できる範囲で募金や支援物資を届けようと心を込めて、支援しているのではないでしょうか?

 

今回、この千羽鶴の問題で、Twitter上では賛否が完全に分かれています。

もちろん、千羽鶴の処分は、税金を使って行われることが多いため、支援に使われるべき税金が、無駄遣いにも繋がります。

生活必需品など以上に、千羽鶴が必要なものと言われると、かなり疑問に思う部分がありますので、批判される理由もわかります。

そして、その批判に対し、支援を全て切ってしまっていいと言い切っている人も見られ始めています。

結局、今回の問題は、当人がどう思うかという問題になり、支援する側、支援される側、その双方がお互いの立場になってみなければ、わからないことなのかもしれませんね。

「一刻も早い復興を込めて、千羽鶴を贈ろう」

「千羽鶴を贈ってくるくらいなら、もっと必要性のあるものを贈ってくれ」

という、職場でよくある現場と上層部の意識の違いに似たような現象と言えそうです。

 

まとめ

千羽鶴は、医療が発達していなかった江戸時代に、多くの子供達が不治の病で亡くなり、その事を危惧して1日でも長く生きられるようにと願いを込められて折られたことが、その意味や由来にあります。

また、広島の原爆投下によって12歳という若さで白血病に侵され、9ヶ月の闘病生活の末に亡くなられた佐々木貞子さんのような犠牲者を二度と生まないために、

平和の象徴

として、千羽鶴が飾られている意味もあるのです。

しかし、なぜか震災を受けて痛みを知っている人たちが、

『千羽鶴なんて痛みを知らない人達の偽善行為で迷惑』

と吐き捨て、支援者の心を土足で踏み荒らしています。

千羽鶴自体に非はないのに、ただただ悲しい話でしかないと思う次第です…。

確かに被災地は、1日を生き抜くのが精一杯という状況に置かれていますし、そんな中、使い道に困るものを贈られても…

という思いも確かにありそうです。

だったら気持ち自体は、形にして贈らなくても伝わるとは思いますし、折り鶴を折って、気持ちを被災地の方向へ向け、部屋に飾っておく…

こういった震災の時には、その程度に留めておくことの方が、よいのかもしれませんね。

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