大島洋平(中日)がFAしなかった理由とは?年俸と成績を考察!

プロ野球

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大島洋平


中日ドラゴンズの大島洋平選手は、終盤の横浜戦でデッドボールを当てられて戦線離脱。

あわや首位打者かと思われたのですが、その夢は潰えてしまいました。

その後、首位打者候補が揃って調子を落とした時期があったため、何もせずに首位打者の可能性もあったのですが…

とはいえ、首位打者争いを演じる素晴らしい選手には変わりありませんし、そんな大島洋平選手が2016年オフにFAで移籍ということにならず、本当に良かったです。

では、大島洋平選手はなぜFA宣言をしなかったのでしょう?

理由が気になりますので、当記事では、大島洋平選手のこれまでの成績や年棒とともに、中日残留理由もお話していきましょう。

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中日ドラゴンズ・大島洋平の年棒・成績を紹介!

地元選手であり、中日ドラゴンズに欠かせない存在である大島洋平選手。

具体的に、大島洋平選手はどんな成績を残してきたのか?

まずは、大島洋平選手の成績を見ていきましょう。

大島洋平の年度別成績

2010年:104試合 .258 0本 17打点 8盗塁 OPS.638

2011年:96試合 .243 3本 18打点 8盗塁 OPS.638

2012年:144試合 .310 1本 13打点 32盗塁 OPS.744 ★盗塁王

2013年:140試合 .248 3本 27打点 19盗塁 OPS.617

2014年:141試合 .318 2本 28打点 28盗塁 OPS.735 ★186安打で1シーズンのチーム最多安打記録タイに並ぶ

2015年:142試合 .260 6本 27打点 22盗塁 OPS.657

2016年:143試合 .292 3本 27打点 26盗塁 OPS.730

2017年 119試合 .313 3本 29打点 23盗塁 OPS.752

このような感じになっています。

正直、OPSはリードオフマンタイプではどうしても低くなりがち。

なので、2017年を除いて基本的には1番を打つことが多かった大島洋平選手を見る場合には、アテになりません。

 

さて、大島洋平選手の成績を見てみると、実は、3割を安定して打っている時期というのは少ないんですよね。

2年連続3割がなく、2016年は3割に届かなかったものの、.292という惜しい数字を残しました。

そのため、安定して3割近い数字を出せるようになったと考えると、これはごく最近のことなのです。

2017年はというと、あと少しで首位打者も狙える!という位置で終盤戦を迎えたのですが…

横浜DeNAの平田真吾投手にぶつけられ、骨折…。

そのままシーズンを終えることとなってしまいました。

この平田真吾投手、次の日に巨人の村田修一選手にもぶつけていて、基本的には、ノーコンと呼ばれる投手です。

危険極まりないので、もっとコントロールを磨いてほしいところですね。

本題に戻りましょう。

ここでは記載していませんが、大島洋平選手は守備が素晴らしい!

足の速さを生かし、何度もセンターを抜けるか!?と思った打球をキャッチし、中日のピンチを救ってきました。

その一方、実は盗塁成功率はそれほど高くなく、通算で6割ちょうどほどなんです。

足の速さを生かした1番打者としては、盗塁技術に難ありです。

足が速いので、1度加速し始めたら1塁から3塁まで行けるのですが、盗塁技術はあまりよくないといったイメージがあります。

走塁は悪くないのに、盗塁が下手というタイプの選手ですね。

では、次に大島洋平選手の年棒を見てみます。

大島洋平の年棒推移

2010年:1200万円

2011年:1500万円

2012年:2500万円

2013年:7500万円

2014年:5625万円

2015年:7400万円

2016年:9000万円

2017年:1億5000万円

ここ数年の大島洋平選手は、中日と年棒で揉めていた印象がありますが、2016年オフに年俸が急増!

これには、FA宣言で残留をさせたいため、森繫和監督がなんとか中日側に年棒を引き上げさせた背景があったようです。

ここで触れたFA宣言についてですが、2016年オフは、中日ファンからしたら本当に落ち着かない日々が続いていたでしょう。

というのも、大島洋平選手がFA権を獲得し、もしかしたら流出するのでは!?ということが、早々とスポーツ紙を中心に報じられていたからなのです。

結果的には、中日残留ということになりましたが…。

では、大島洋平選手は、なぜFA宣言をせず残留という道を選んだのでしょう?

 

中日ドラゴンズ・大島洋平が残留を決めた理由とは?

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2016年オフ、中日ファンとしては、毎日ソワソワしていたことと思います。

契約更改について、大島洋平選手と中日ドラゴンズの交渉は2度行われ、いずれも決裂という結果になりましたからね。

この時、

「終わった…これで来年も最下位か…」

と、絶望を覚えた人も多かったのではないでしょうか。

筆者も、2度も交渉が決裂したとなっては

「流出も仕方がないか…」

と、若干諦めモードになっていたので、大島洋平選手の中日残留が決定した時は、心から大喜びしました。

では、大島洋平選手は、なぜ3度目の交渉で中日と契約をすると決めたのでしょう?

もちろん、大島洋平選手が

愛知県名古屋市出身

地元の古豪・享栄高校の出身

であることからの地元愛もあるでしょう。

さらにもう1つ、大きな理由がありました。

大島洋平選手が残留を決めたもう1つの理由というのが、森繫和監督の存在です。

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実は、2度の契約交渉が決裂した後に、先ほども少し触れましたが、

球団にもっと大島洋平選手への年棒を引き上げるように要請したのは、ほかでもない森繁和監督でした

森繫和監督は、大島洋平選手のことを一番必要な選手と評価していたみたいですし、直接球団にかけあったのも頷けます。

さらにいえば、大島洋平選手は、森繁和監督と同じ駒大の後輩ですからね。

結論としては、大島洋平選手が中日残留を決めたのは地元への愛着、そして決定づけたのが、

森繫和監督の大島洋平選手への評価

だったのでしょう。

2度目の交渉決裂が判明すると、すぐに中日に直接掛け合うというフットワークの軽さも、監督としてとても素晴らしいことですね。

ちなみに、森繫和監督のフットワークの軽さは、森繫和監督の恩師である故・根本陸夫さんの意思が受け継がれているからなのだと思います。

年棒の引き上げを要請したり、監督になった現在でも自身がドミニカへ外国人選手の視察に行ったりするのも、監督でありながらドラフトやトレードなどを実質的に仕切り、

『球界の寝業師』

と言われた根本陸夫さんイズムそのもの。

根本陸夫さんは西武の監督時代、チームを上位で戦える状態に立て直したら、

「役目は終わった」

と、監督を辞めてしまったそうです。

そして、現在の中日における森繫和監督も、恩師である根本陸夫さんと同じような役割を期待されていて、何らかの縁を感じますね。

こうした森繫和監督の尽力があって、大島洋平選手が無事に中日ドラゴンズに残留という形で収まりました。

中日ドラゴンズファンの森繫和監督への感謝は、きっと計り知れないものになったのではないでしょうか?

実際に、筆者も、

「見た目はちょっとヤバい人だけど、人柄もいいし、さらにフットワークの軽さまで備わっているとは素晴らしい人だな…」

と感じさせられました。

 

まとめ

中日ドラゴンズの大島洋平選手について、年度別成績や年俸、FA宣言をせず残留した理由を紹介しました。

3年間の複数年契約という事らしく、しばらくは中日ドラゴンズのユニフォームを着た大島洋平選手の姿を見ることができます。

2017年は、終盤まで首位打者争いをしていましたが、横浜の平田真吾投手にぶつけられ、戦線離脱…。

首位打者の夢は2018年以降に持ち越しとなってしまいました。

選手としては、まだ2年連続の3割を記録したことがないので、大島洋平選手のさらなる飛躍、その手始めとして、2018年の首位打者を目指してほしいですね!

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