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井伊直虎の史料や家系図をチェック!本当の性別は男?それとも女?

更新日

井伊直虎は、2017年からNHKで放送予定の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公です。

タイトル通り、

女性の城主

という物珍しさもあり、テレビ以外でも井伊直虎は、これまでにゲームなどのヒロインとしても登場しています。

しかし、そんな井伊直虎は、

実は男性だった

という新説が浮上し、今話題となっています。

戦国末期の混乱の時代に、女性が城主を務めるというのは、確かにかなりの無理がある気がします。

配下の侍たちは、全員男性でしょうし、そう簡単に女性城主に従うものでしょうか。

今回は、井伊直虎とはどんな人物なのか、性別は男かそれとも女かを家系図、その他の史料を元に推測してみました!

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『おんな城主』だった井伊直虎とは?

井伊直虎の時代は、戦国時代末期から安土桃山時代にかけて。

西暦でいえば、1540年頃から1580年頃にかけての時代となります。

当時の井伊家は、現在の静岡県浜松市北区一帯の領主として、

平安の在庁官人の時代から連綿と続く名家

南北朝の争いの時代(1336年~1392年)にも、親王を擁して南朝の本拠地の一つにもなっています。

井伊家は、名家とはいえ、勢力的には小国であるため、今川、武田、徳川などの大国に翻弄され、永禄5年(1562年)には、当時の領主である井伊直盛が謀略により倒されてしまいました。

そして、

領主として適例の男子が存在せず、井伊家は断絶の危機

にさらされたのです。

この時、ピンチの井伊家のために立ち上がったのが、

井伊直盛の娘、女性城主『井伊直虎』

というわけです。

これが戦国時代には珍しい(戦国時代以外でも珍しいと思いますが)『おんな城主』の嚆矢(こうし・物事の始まり)です。

この井伊直虎は、領主として徳政令などを行い、『女地頭』と呼ばれることもあったそうです。

また、井伊直親と婚約した、という説もありますが、実際には生涯独身で結婚しないままだったそうです。

Wiki風に、井伊直虎の経歴プロフィールを書いてみますと、以下のようになります。

井伊直虎の経歴プロフィール

名前 井伊直虎(いいなおとら)

通称 次郎法師

幼名 不詳

父 井伊直盛

母 祐椿尼(新野親矩の妹)

生年月日 不詳 (天文5年(1536年)前後に誕生との説あり)

没 天正10年8月26日(1582年9月12日)

墓所 龍潭寺

主君 今川氏真・徳川家康

子 直政(養子)

『おんな城主』誕生のきっかけである、井伊直盛が謀略により倒されたのは、今川氏の家臣・小野道高が讒言(ざんげん)、悪口を報告したことによります。

この讒言は、天文13年(1544年)の時のことで、『今川義元への謀反』という内容でしたが、この讒言により、井伊直満や、その子である直親らが、自害あるいは逃亡することになりました。

当時、井伊直虎は井伊直親の許嫁となっていましたが、龍潭寺で出家し、次郎法師と名乗るように。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて、井伊直盛は戦没。

跡をついだ直親は永禄5年(1562年)に、小野道高の子・道好のまたもや讒言により、今川氏真に命を絶たれました。

親子二代に渡る讒言と、それによる二代に渡る井伊家の不幸といえるでしょう。

このあたりは、いかにも乱世の戦国時代という感がありますが、戦国時代の常識として、

騙されるのは、騙された方が悪い

いう風潮がありました。

和平の談義という名目で、相手を適当な場所に誘い、そこで酒を飲ませて隙を見て斬り倒す、などというのは、日常茶飯事だったそうです。

その後、永禄8年(1565年)に、次郎法師は還俗し、直虎と名を変えて井伊家の当主となったのです。

なお、『直虎』は仮名で本名ではありません。

また、幼名は不明のままです。

井伊直虎は、このような数奇な運命により、現在、ドラマやゲームのヒロインとしても引っ張りだこ。

最近では、NHKの看板である大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも、登場することが決定しています。

また、ゲームでも、モンスターストライクの『井伊直虎【極】』や、コーエーテクモゲームスの『戦国無双4』などでもおなじみです。

 

井伊直虎の性別は男?女?家系図や史料を元に推測!?

さて、このおんな城主と呼ばれた井伊直虎の女性伝説の信憑性についてです。

これに対して、実はかなりの疑問点があります。

まず、井伊直虎の生涯については、

『井伊家伝記』が主な史料

となっていますが、この史料では関係者の直筆、あるいは直接の談話を元にしたものではなく、

井伊家の地元での言い伝えがメインなのです。

つまり、イエス・キリストの真実の生涯と、後から編纂された新約聖書に残された生涯に似ている話なのです。

井伊直虎が、井伊直親の許嫁であったという説についてみても、直親が信州に逃れた天文13年(1544年)では、直虎の生誕が1533年という説を取れば、直虎は弱冠11歳です。

11歳の時点で、自発的に出家しようという判断をするものなのでしょうか。

この件については、フィクションの可能性は高そうですね。

となると、これまで伝えられている、井伊直虎の生涯の多くの部分も、史実とは異なるのではないか、という疑問が発生してきます。

そして、その中で最大のものが、

井伊直虎の性別は女性ではなく男性だった

という説です。

ただし、井伊家の家系図を見ても、そのあたりのことは判別できません。

家系図では、縁戚関係などはわかっても、男性女性の性別を判断できるような部分は残されていないのです。

そこで、さらに調べてみますと、ごく最近になって発表された説が浮上しました。

この発端は、2016年12月に、京都市井伊美術館館長の井伊達夫氏が、

直虎という人物は女性ではなく、

今川氏の家臣・関口氏経の息子を井伊次郎と名乗らせて当主とした

次郎法師とは別人で、いとこにあたる別の男性である

という説を発表したのです。

その説の根拠は、江戸初期に井伊家の家老だった木俣氏が書いた書を、享保20年(1735年)に子孫がまとめ、直した写本によるとのことです。

その史料は、『守安公書記・雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』という文書です。

彦根藩の筆頭家老が、直虎を知る人たちから聞き書きした内容を、後の子孫が1735年に書き写してまとめた史料なのです。

そこには、井伊家について、井伊谷の領地が直盛の義理の兄弟・新野左馬助親矩の

甥、井伊次郎に与えられた

との記述があったそうです。

『甥』というからには、性別は女性ではありえませんね。

また、美術館の依頼で、この史料を見た、近世史を専門とする京都女子大教授・母利美和氏は

「直虎の正体は、今川家から派遣されてきた男性だったと考えられ、大変興味深いですね。

直虎は関口氏経との連名で、領地に徳政令を出していますが、父が子を補佐したという見方も成り立ちます」

と話していたそうです。

こうした新史料なども併せて推測しますと、史実の井伊直虎の性別は、

男性だった

という説の方が、有力のように思えます。

話としては、戦国武将が美人の女性、という方が遙かに面白いことは確かでしょう。

しかし、

「フィクションは事実より奇なり」

ということは、現実にはよくあることなので、そんなものとして、井伊直虎の女性説は、もう諦めるしかないのでは?と思う次第です。

 

まとめ

戦国の武将である井伊直虎は、これまで女性の城主とされてきました。

しかし、ごく最近、2016年12月になって、『井伊直虎が女性』という説には、強力な異論(男性である)が現れたのです。

それも古文書の発見という、論拠があります。

その史料は、『守安公書記・雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』という古文書。

その史料によると、

井伊家の井伊谷の領地が、井伊直盛の義理の兄弟・新野左馬助親矩の甥、井伊次郎に与えられた

と書いてあったのです。

"甥"が、女性であるはずがありません。

ゲームや大河ドラマでおなじみの、

美女の城主

というイメージは、どうやら今後は、改めなければならない展開になるかもしれませんね。

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