ファンタジー号事件の風船おじさん(鈴木嘉和)は現在生きてる?

時事

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2009年に公開された『カールじいさんの空飛ぶ家』というディズニー映画。

無数の風船を家にくくりつけ、空飛ぶ家とともに旅に出るという内容の『カールじいさんの空呼ぶ家』は様々な世代に語り継がれる名作となりました。

果たして風船をくくりつけただけで空を飛ぶことができるのか?と疑問に思う人も少なくないでしょう。

実は日本にも『風船おじさん」と呼ばれた男性が存在したのです…。

皆さんは1992年11月23日に滋賀県の琵琶湖からアメリカへと向けて旅立った『風船おじさん』をご存知ですか?

この『風船おじさん』、アメリカへ向けて飛びだったと言っても、飛行機に乗って琵琶湖から飛びだっていったわけではないのです…。

そう。名前からもわかる通りあろうことか、ヘリウムでふくらませた風船を椅子に大量に取り付けたファンタジー号で、飛行を試みたのです…。

『風船おじさん』のロマンをかけた飛行から25年以上が経過した今、『風船おじさん』はどうなっているのでしょうか?

ファンタジー号事件の風船おじさん(鈴木嘉和)の現在に迫っていきます。

ファンタジー号事件の風船おじさん(鈴木嘉和)って誰?

1992年に世間を騒がせた、『風船おじさん』。

『風船おじさん』とは、一体誰なのでしょうか?

『風船おじさん』の本名は鈴木嘉和、職業はピアノ調律師。

ピアノ調律師一家に生まれた鈴木嘉和は、長らくピアノ調律業を営んでいたのですが、44歳の時に音楽教材を販売する会社、ミュージック・アンサンブルを起業。

さらに音楽サロンや雀荘、コーヒーサロンやパブレストランなどを多角経営していたようですが、どれも上手くいきませんでした。

その結果なんと、4億円以上もの借金を抱えてしまったといいます。

この頃から、『風船おじさん』は、後に事件となる『ファンタジー号』を使って借金の返済をしようと計画し始めたそうです。

ファンタジー号事件の風船おじさん(鈴木嘉和)の試験飛行

『ファンタジー号』によるアメリカ横断を目指す第一歩として、1992年4月17日に、東京都の多摩川から千葉県の九十九里浜を目指す試験飛行を実施した『風船おじさん(鈴木嘉和)』。

府中防犯課の警察官の制止を振り切り、椅子に5メートルと2.5メートルの風船2個ずつをくくりつけて、試験飛行に強行突破した風船おじさん。

無事大空に飛び立ったかのように見えた風船おじさんでしたが、アクシデントが発生してしまします。

なんと、椅子に取り付けられていた重石の紐が切れてしまったのです。

重石を失ったため風船おじさんは、予定されていた高度よりも高く空に上昇してしまいました。

その後、高度を落とすために、風船の紐をライターで切った風船おじさん。

東京都大田区の民家の屋根に不時着しました。

風船おじさんの命に関わるような怪我はなく、幸いにも左手に軽傷を追うだけですみました。

しかし、風船おじさんが不時着した民家のアンテナは折れ、屋根の瓦が割れてしまうという事態に…。

謝罪や弁償くらいあっても良いと思いますが、風船おじさんからその民家へ謝罪や弁償は全くなかったのだとか…。

風船おじさん(鈴木嘉和)のファンタジー号事件

1992年4月17日の試験飛行で世間を騒がせた風船おじさん(鈴木嘉和)。

1992年4月の不時着事件から7か月後の11月23日、ついにその事件は起きてしまいました。

その事件は後に『ファンタジー号事件』と呼ばれることに…。

ファンタジー号事件とは、風船おじさんが制作したファンタジー号により、日本の琵琶湖から太平洋を横断してアメリカに行くという計画。

風船おじさんが制作したファンタジー号とは、ヘリウム風船を大量にとりつけたゴンドラ。

つまり、風船おじさんはヘリウム風船を大量にとりつけたゴンドラに載ってアメリカまで行こうとしていたのです…。

ファンタジー号事件の当日は、あくまでも、試験飛行の予定のはずでした。

風船おじさんの支持者や、フジテレビの『おはよう!ナイスデイ』の取材班、同志社大学の三輪教授と学生たちが集まっていた琵琶湖で実験を行い、風船おじさんは、ファンタジー号の飛行を開始。

120メートルほどまで上昇したところで、一旦着陸した風船おじさん(鈴木嘉和)。

しかし、風船おじさんは16時20分ごろに突如、「行ってきます」と言い残し、ファンタジー号で大空へと飛び立ってしまったのです…。

@emilyporterox)さんの投稿

同志社大学の三輪教授が「どこへ行くんだ」と問いかけると、風船おじさんは、「アメリカですよ」と返答。

僅かな食料と携帯電話、酸素ボンベやマスク、パラシュートなどの最低限の積載物とともに、風船おじさんは冒険の旅へ出発してしまったのです!

『風船おじさん』の計画では、ジェット気流に乗ることができれば、40時間でアメリカへ到達すると考えていたのだとか。

翌日には風船おじさんの携帯から「朝焼けがきれいだよ」と連絡が入りました。

しかし実際はそう簡単に上手くいかず、出発から2日後にはファンタジー号からSOS信号が発せられ、海上保安庁が出動。

宮城県金華山沖でファンタジー号を発見します。

@nolinina)さんの投稿

そこでなんと『風船おじさん』は、救助にきた海上保安庁に手を振ったりしているだけで、SOS信号を止めてしまったのです。

とはいえ、海上保安庁もそのまま放っておくわけにはいかず、3時間ほどファンタジー号の追跡を続けました。

その後、ファンタジー号は、雲間に消えてしまったので、海上保安庁は追跡を打ち切ることに…。

『風船おじさん』の消息は、その後途絶えてしまい、誰も風船おじさんの行方を知りません。

ファンタジー号事件の風船おじさん(鈴木嘉和)現在は生きてる?

琵琶湖を飛び立ったまま消息不明となってしまったファンタジー号と風船おじさん(鈴木嘉和)。

海上保安庁が宮城県金華山沖でファンタジー号を発見したのを最後に、1992年11月25日で消息不明となりました。

一時、風船おじさんが亡くなっているのをアラスカで確認された、という情報がネット上で流れましたが、これはデマだったと判明しています。

『風船おじさん』が消息を絶った後に、『朝日新聞』のインタビューに答えた気象大学校の池田教頭(当時)は、「生存は難しい」と説明。

ファンタジー号にとりつけられていた風船の素材が塩化ビニールだった場合、『日が経つにつれてガスが抜けていき、海に着水しているだろう』との見解もあります。

@sky_view_japan)さんの投稿

つまり、池田教頭(当時)のコメント通りだった場合は、ファンタジー号は太平洋のどこかに着水し、そのまま沈んでいったということに…。

また、当時の風の向きが北へ吹いており、『ファンタジー号』が北へ流されていたという情報もあります。

普通に考えれば、海へ着水したというのが順当なところでしょう。

ファンタジー号の着水地点の近くを船などが通っていれば、『風船おじさん』が救助されたということもあり得るかもしれませんが、これまでにニュースになっていません。

ということは、おそらく『風船おじさん』の生存は極めて低いと思われます。

そもそも、着水まで生存していたかも不明です。

低体温症によってファンタジー号の中で亡くなった後、ファンタジー号が着水したということも考えられるわけです。

妻子がいる風船おじさんは、常に、「借金返済のためにやって見せる」、「成功すればCMになるはずだ」と語っていました。

もし風船おじさんが生きていれば、まず何らかのアクションを起こすはずでしょう。

情報によれば、風船おじさんの妻は、会社の共同経営者であったので、4億円を超える借金は、現在も彼女が返済中とのこと。

生涯をかけても返せる金額ではありませんし、借金を残した張本人は消息不明なのですから、『風船おじさん』の妻としては、何もかもを失った思いでいるのかも…

残された家族のことを思うと、心が痛みます…。

まとめ

ディズニー映画の『カールじいさんの空飛ぶ家』を彷彿させるような日本の『風船おじさん』。

1992年11月23日に滋賀県の琵琶湖からアメリカへ向けて、ヘリウム風船を大量にとりつけたゴンドラ『ファンタジー号』で飛び立ちました。

翌日には風船おじさんの携帯から「朝焼けがきれいだよ」と連絡が入ったものの、1992年11月25日で消息不明に…。

その後、風船おじさんの目撃情報は全くなく、現在も消息不明のままです。

借金返済のために、ファンタジー号でアメリカに行くというチャレンジをした風船おじさんでしたが、残された家族は現在も4億円を超える借金を返済中とのこと。

今でも風船おじさんの帰りを待ちわびてる妻の元に、ある日ひょっこりと姿を表してくれないかと願うばかりです。

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