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ダバディ(トルシエ監督の通訳)の学歴や経歴プロフィールをチェック

更新日:

みなさんは、2002年日韓ワールドカップの頃のサッカー日本代表・トルシエジャパン。

このとき、トルシエ監督の通訳をしていた

フローラン・ダバディさん

のことを記憶していますか?

通訳とは地味で目立たない存在でありながら、主役の言葉を代弁する影の立役者なのです。

しかしフローラン・ダバディさんは、なぜかトルシエジャパンの中でひときわ目立っていましたよね。

ある種、トルシエ監督よりも認知度が高いような気もしていました。

そんなフローラン・ダバディさんが、現在では、サッカーからテニスの通訳・解説に転向した話も耳にします。

また、クイズ番組『ネプリーグ』にも出演するみたいです。

そこで、本記事では、フローラン・ダバディさんの学歴や経歴プロフィールを探ってみたいと思います!

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フローラン・ダバディの経歴プロフィールが凄い!!

ダバディ

ダバディ

みなさんは、2002年に開催された、日韓ワールドカップ(サッカー)で、

トルシエジャパンの通訳を務めたフローラン・ダバディさん

に対して、どのような印象をもっていますか?

おそらく多くの人は、

『トルシエ監督よりも目立つ通訳』

としか思っていないのではないか?と思います。

 

以前出演していたスポーツ番組の『すぽると』では、『World Sport』のコーナーにて、海外スポーツ全般のキャスターとして出演。

当時、テレビでフローラン・ダバディさんのことをみた時に、

「この人通訳じゃないの?何やっている人なの???」

と思ったものです。

そこで、改めてフローラン・ダバディさんの経歴プロフィールを見てみると、実はただの通訳ではなく、凄い経歴が見えてきたわけです。

では、一体どんな経歴プロフィールの持ち主なのか、紹介していきますね。

 

フローラン・ダバディさんは、

1974年11月1日、フランス・パリ生まれ。

父は、フランスでは作家・作詞家として有名なジャン・ルー・ダバディさん。

(学歴に関しては後ほど詳しく語っていきますので、ここではあえて割愛)

とにかくフローラン・ダバディさんは幼少の頃から、語学には長けていたみたいです。

現在では、なんと

7カ国語

  • フランス語
  • 日本語
  • 英語
  • イタリア語
  • スペイン語
  • ポルトガル語
  • 韓国語(朝鮮語)

を話せるそうです。

ちなみに、小学生か中学生の頃に、韓国に興味を持ち韓国語(朝鮮語)を独学で学びました。

韓国語を習得した後、一人で韓国人しか訪れない料理店に入り、朝鮮語で注文したところ周囲の客に驚かれたエピソードもあるようです。

また、高校時代に日本語も習得。

その後、大学では朝鮮語とともに履修するという形で、日本語を専攻したみたいですよ。

これには大学で父親の反対を受けたこともあるようです。

具体的なことまではわかりませんでしたが、幼少の頃から韓国や日本に興味を持っていたことなのだと思います。

 

さて、そんなフローラン・ダバディさんが、編集者・通訳としてのキャリアをスタートさせたきっかけが、

フランスの出版社が創刊する、日本の雑誌のインターンシップに応募したこと

でした。

当時、フローラン・ダバディさんは、大学で日本語を専攻していたこともあって、

『日本と関わるような仕事がしたい』

と考えていたそうです。

またその頃は、フランスで兵役制度(1990年~2000年初頭までで廃止)があった時代です。

フランスの企業に務め、給与を一部返納すれば、兵役免除できるプログラムもあったそうです。

そのために、先程お話した日本の雑誌のインターンシップに応募したとのことでした。

兵役も免除された上に、日本との関わりのある仕事ができれば、フローラン・ダバディさんにとって、これほど幸せなことはないでしょう。

しかも雑誌の編集ですから、もともとの語学力だって活かせるわけで、まさに願ったり叶ったりの仕事。

そんな中、1998年のフランスワールドカップが、ひとつの契機となりました。

日刊スポーツから、サッカー以外にも現地感が出る記事を手掛けたいと、フローラン・ダバディさんに声がかかります。

このこともあって、編集者として、大きなキャリアを積むこととなっていったわけです。

 

ちなみに、話がややこしいのですが、日本の雑誌のインターンシップというのは、

アシェット婦人画報社が手がけた映画雑誌『プレミア日本版』

だったそうです。

実は、既にこの雑誌は休刊しています。

しかも、アシェット婦人画報社は、ハースト・コーポレーションに買収されて、『ハースト婦人画報社』と社名が変わっています。

 

なお、この婦人画報社が出版している雑誌で有名なのは、

『ELLE japon(エル・ジャポン)』

『25ans(ヴァンサンカン)』

などがあります。

とくに女性の人であれば、一度目にしたことがあるかもしれません。

 

さて、話をフローラン・ダバディさんの経歴プロフィールに戻しますが、編集者としてキャリアを積むこととなったフローラン・ダバディさん。

日刊スポーツから、突如

『トルシエ監督の通訳にならないか?』

という打診が舞い込んできます。

ちょうど1998年の頃の話です。

編集者としてのキャリアをスタートさせたばかりなのに、いきなりそんなオファーがきて困った…。

と思いきや、急転直下、フローラン・ダバディさんは急いで履歴書を送り、トルシエ監督の通訳になったようです。

このトントン拍子というべきか、順風満帆な人生の移り変わりは、凄いとしか言いようがありませんよね。

普通なら、こんなに人生が簡単に転んでいくことは、そうそうありません。

編集の仕事につくだけでも、やっとの思いで採用された人が大半だと思いますよ。

もちろん、フローラン・ダバディさんのスキル・努力もあってのことだと思いますが、まさに天運を持った人物とも言えるのではないでしょうか。

 

その後は、無事に通訳として務めを果たし、日韓ワールドカップ終了後、彼はトルシエ監督辞任と共に、日本代表監督の通訳の仕事を降りました。

そんなフローラン・ダバディさんのもとに、今度は

テニス協会

からオファーが来てしまいます。

そのタイミングは、なんと日韓ワールドカップ終了から半年後!!

本当に信じられない展開ですよね。

たまたまテニス協会の理事をしている福井烈さんが、サッカー好きで、フローラン・ダバディさんのことを知っていたそうなのです。

それも、日本代表監督の通訳としてだけではなく、フローラン・ダバディさんがテニスも好きだったことも知っていたのですから驚きです。

そして、福井烈さんが『連載に出てみないか?』ということで、フローラン・ダバディさんにオファーしたわけです。

そのオファーに快諾したフローラン・ダバディさんが、福井烈さんの連載記事(4ページに渡る連載記事)に登場します。

さらに、この連載記事が、テニス関係者の人たちやWOWOWのプロデューサーの目にとまりました。

このことをきっかけに、現在のWOWOWのテニス番組のナビゲーターをフローラン・ダバディさんが勤めることになったそうです。

 

語学やスポーツも彼が通じてきたことが、結果として次の仕事につながっているわけですが、こんなにドンピシャでトントン拍子に話が進んでいくなんて…。

ただただフローラン・ダバディさんの経歴プロフィールには驚かされるばかりです(笑)。

『運も実力のうち』という言葉がありますが、まさに、フローラン・ダバディさんはそれを証明したような経歴プロフィールの持ち主なのです。

現在では、スポーツ全般におけるキャスターとして、また、バラエティ番組などにタレントとして出演しています。

それも、今までの経歴プロフィールが全て繋がっているからこそ、なし得ていると言えるでしょう。

いずれにしても、

語学もできて、スポーツにも携わり、その上タレントとしての能力を持っている万能な人

であることが、フローラン・ダバディさんの経歴プロフィールからわかった次第です。

 

なお、彼の性格の部分までは詳しくわかりませんでしたが、唯一はっきりしているのは、

暴力は大嫌いである

ということですね。

これは、かつて芸能界で元芸能人がマネージャーに手を上げてしまったことがニュースで取り上げられた際に、

「暴力はどんな理由があってもNG」

と、その人を辛辣に批判していたり、一方では、格闘技ですら

「気持ち悪い」

と吐き捨てたこともあったそうです。

確かにボクシングやK-1は、たとえルールがある競技であったとしても、暴力と言われれば、その通りかもしれません。

そんなフローラン・ダバディさんのことを、どのように思うかは人それぞれですが、経歴プロフィールの凄さも併せて、ユニークな人だと思う次第です。

 

フローラン・ダバディの学歴に衝撃!

フローラン・ダバディさんの経歴プロフィールが凄いことは、先程のお話でわかってもらえたと思いますが、実は学歴についても凄いみたいです。

17歳のときに男女共学の高校に転校するまで、男子校で過ごしてきたフローラン・ダバディさん。

映画『東京物語』や『たんぽぽ』を観て日本に感心を持ち、日本語を習得し、UCLA(アメリカ)に短期留学し、ジャーナリズムと舞台を勉強します。

そして、短期留学を終えると、パリの国立東洋語文化学院(INALCO)で、日本語と日本文化をさらに勉強したのです。

大学4年の頃には、奨学金で静岡大学に留学し、サッカー部でFWを務めていたそうです。

ということは、フローラン・ダバディさんは、少なくとも短期留学も含めて、3つの大学で勉強してきたわけですね。

一つの大学に入り、卒業するだけでも、受験も含めて大変です。

なのに、それを3つ掛け持ち(留学も併せて)無事卒業(留学は終了)させるなんて、本当に凄い人ですよね。

 

先程、高校卒業後に大学で日本語専攻しながら朝鮮語を勉強していたのは、東洋語文化学院(INALCO)でのことのようです。

厳密には少し間をおいて、日本語と朝鮮語を勉強したのが実際のところみたいですよ。

正直、筆者は表面的にしかフローラン・ダバディさんのことを見ていませんでした。

テレビで彼のことを見ていたときも、ただ通訳として有名になって、少しキャスターまがいのことをしているだけなのだろうと思っていました。

割と批判的に見ていたのですが、それが誤解だったと、今は恥ずかしく思います。

本当に、見た目だけで人は判別できないことを改めて痛感しました。

フローラン・ダバディさんが、いかにユニークな人で奥の深い人物であるか。

そんなフローラン・ダバディさんは、スポーツを通じて日本とフランスの架け橋となっていくことを目指し、これまで活動してきているそうです。

今後も、幅広くスポーツに携わり、日仏友好のシンボルとして活躍していって欲しいですね。

 

 

まとめ

フローラン・ダバディさんに対して、サッカー日本代表(トルシエジャパン時代)の通訳というイメージしかなかった人は多いと思います。

しかし実は、とんでもない学歴・キャリアの持ち主で、日本とフランスの架け橋としてダバディさんは、なくてはならない存在です。

たまにKYなところもあり、辛辣に批判することもありますが、暴力は大嫌いな性格らしいですね。

まぁ、ダバディさんなりの正義もそこにはあって、ユニークな人であることも、今回改めてわかりました。

賛否はわかれるかと思いますが、今後も、日仏の架け橋として、幅広く活躍していって欲しいですね!

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