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映画ブレードランナーのレイチェルの寿命とデッカードとの関係

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リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』は、1982年の公開です。

公開から35年も経った現在でも、その内容の解釈など、熱く語る人が多いのです。

それだけカルトとしての地位を確立している名画ということなのでしょう。

しかし、映画『ブレードランナー』にはバージョンが多数あり、バージョンによってエンディングの描写もずいぶんと違っています。

そして、そのバージョンにより、ヒロインであるレイチェルと主人公のデッカードの関係や、彼女の寿命など、色々と考えさせられる点が多いのです。

そこで今回は、『ブレードランナー』でのレイチェルの寿命と、デッカードとの関係などを考察してみました。

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映画『ブレードランナー』のレイチェルの寿命

それではブレードランナーのあらすじです。

近未来のアメリカでは、『レプリカント』と呼ばれる人造人間が、奴隷として過酷な労働に従事していました。

その境遇に不満を持つようになったレプリカントは、反逆を企てるのですが、それを取り締まるのが『ブレードランナー』と呼ばれる人々です。

主人公のデッカードもその一人で、逃亡したレプリカントを捜査する内に、レイチェルという美女と知り合い、愛するようになります。

しかし、彼女は実は人間ではなくレプリカントだったのです。

人間と人造人間の愛など、そもそも成立するのか。

そして二人の結末は…。

というのが、ごく大雑把な映画『ブレードランナー』のあらすじです。

 

このレプリカントの寿命ですが、人間に対する反乱などを想定した安全対策として

4年間

と当初から設計されています。

つまり、いかに人間同様の外観と思考能力を持っていても、レプリカントは4年しか生きられないのです。

反乱レプリカントのリーダーであるバッティも、開発者であるタイレル博士に会って、レプリカントの寿命を延ばしてもらおうとします。

しかし、博士の答は

「それは技術的に不可能だ」

という冷たいものでした。

逆上したバッティは博士の命を奪ってしまいます。

このレイチェルやバッティのタイプは、『ネクサス6型』という最新型ですが、それでもレプリカントの延命は不可能なのです。

ということは、デッカードが愛したレイチェルも、最長でも4年間しか生存できないことになります。

実際に映画『ブレードランナー』の中でも、デッカードの同僚が

「彼女も惜しいですな、短い命で。」

などと語っています。

なお、原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、種々の事象の解釈が各人によって大きく異なり、

読む人の数だけ解釈がある

とさえ言われています。

映画の方は、小説ほどではないにせよ、解釈は見る人によってかなりの相違があります。

この寿命の点をみても、解釈はかなり難しいのです。

その理由は、

この『ブレードランナー』は、複数のバージョンがある

という点にもあります。

どのバージョンを見たのかによって、受ける印象や解釈も当然違ってくるでしょう。

 

そんな『ブレードランナー』には、設定の異なる5つのバージョンがあります。

もっとも一般的なバージョンは、1982年の映画版でしょう。

エンディングではデッカードのナレーションで、

「レイチェルの寿命は限られていない。お互い何年生きられるか、誰が知ろう。」

となり、二人は遠く長い流浪の旅に旅立ちます。

つまり、レイチェルの寿命は4年とは限らない、と言っているわけです。

これはハッピーエンドを示唆しています。

もっともこの言葉は、

愛し合う者にとっては、後何年生きられるかは重要な問題ではない

と解釈することもできますね。

この解釈では、短い残りの人生を精一杯生き続けようということになります。

しかし、このエンディングはリドリー・スコット監督が当初考えていたものではなく、後から変更追加されたものなのです。

その理由は、興行成績への不安からで、監督の当初の案では、あまりにもわかりづらく、一般受けしないだろうということでした。

そこでよりわかりやすく、ハッピーエンドも見えてくるこの演出となったわけです。

その後、『ブレードランナー』の評価が高くなると、いくつかのバージョンが発表されました。

その中で重要なのは、1992年のディレクターズ・カット版と2007年のファイナル・カット版です。

こちらは前述のデッカードのナレーションと流浪の旅のシーンは、全てカットされています。

そして、エンディングは、二人がエレベーターに乗り込むシーンで終わりとなっているのです。

リドリー・スコット監督の当初の案通りの結末ですね。

このどちらのエンディングが良いかは、人により評価がわかれるでしょう。

筆者は、逃避行の方がセンチメンタルで良いような気もしますね。

 

なお、フィリップ・K・ディックの小説を始めて読む人への注意としては、

彼の作品はかなり読みにくく、とっつきにくいです。

文章が難解であるとかではなく、読んだ後でも内容の理解が困難、ということです。

早く言えば、

「なにがどうなっているのか、よくわからない」

ということですね。

これは内容をそのまま受け取り、自分なりに考えて解釈するよりありません。

 

レイチェルとデッカードの関係とは?

レイチェルとデッカードの関係といえば、最初は

狩る人間と狩られるレプリカント

という関係でした。

しかし、二人は愛し合うようになります。

こうなると二人の関係は複雑ですね。

それともう一つ、重要で複雑な要素があります。

それは、

デッカードは真正の人間なのか、それともレプリカントなのか

ということです。

原作でも、デッカードは本当に人間なのか、疑問に思える点がいくつかありましたが、映画『ブレードランナー』でも、とくに

1992年のディレクターズ・カット版以降のバージョンでは、デッカードはレプリカントではないか

という暗示的なシーンがあります。

それがユニコーンのモノローグなのらしいのです。

逃亡したレプリカントは、六人とされています。

その内、五人は次々に命を落としますが、最後の一人については安否は不明のままなのです。

この場合、レイチェルは社長により製作され、その生い立ちはわかっているので、最後の一人ではありません。

となると不明の一人とはだれ?…。

ということです。

さらには、デッカードの同僚ガフの折り紙ですが、それはユニコーンで、デッカードが夢に見たものです。

ではなぜ、ガフはデッカードが見る夢を知っていたのでしょうか?

レプリカントの記憶は、制作者が挿入したものです。

つまりガフはデッカードの情報を知っていたことになります。

レプリカントであるデッカードの記憶を操作してレプリカント狩りを行わせ、その後にデッカードも始末するつもりだったのでは?

その他にも、デッカードはレプリカント判別試験を受けなかったり、写真を集めるのが好きということもあります。

レプリカントは写真が大好きなのです…。

とはいえ、もしデッカードがレプリカントであるとすると、映画には、それと矛盾する描写も多いのです。

このあたりはよくわかりせんが、あるいは単に作っている間にたまたま設定を入れてしまっただけのことかも知れませんね。

 

まとめ

映画『ブレードランナー』では、デッカードとレイチェルはどうなっていくのでしょうか。

映画のバージョンにより、彼らの行く末も異なるようですが、果たしてレイチェルの寿命が本当に4年しかないのか、気になりますね。

また、デッカードとレイチェルの関係は、人間とレプリカントの関係で終始してしまうのか。

あるいは、また別の関係に発展していくのでしょうか。

多様に解釈てぎる映画だけに、気になるところですね。

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