
デーブ大久保という通称で知られる大久保博元。
何かと黒い噂がつきまとうデーブ大久保ですが、プロ野球選手引退後はタレント活動やプロゴルファーとして活躍していました。
また、プロ野球の監督もしていたデーブ大久保。本記事では、デーブ大久保にまつわる黒い噂について探っていきます。
デーブ大久保とは
デーブ大久保は、1984年にプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに1位で指名され、プロ野球の門を叩きました。
当時は強豪選手がチーム内にいたことから代打要員扱いされていたデーブ大久保ですが、1992年に読売ジャイアンツへ移籍し、好成績を納めていました。
【コラ】成績不振の責任を取り、巨人高橋由伸監督が辞任へ。 後任監督には巨人OBで元楽天監督のデーブ大久保氏が就任 pic.twitter.com/YPKWC7C6u1
— 蒲鷲@10/4楽天生命パーク (@washi_kamata) June 7, 2017
しかし徐々に成績が低迷し、1995年、足首を骨折し球団を脱退することに…。
プロ野球引退後のデーブ大久保は、解説者や評論家として活躍していました。
また、デーブ大久保という芸名でタレント活動を行ったり、プロゴルファーとしても活躍。

- 2008年には、プロ野球選手として活躍した過去の経験を活かし、埼玉西武ライオンズ一軍打撃コーチに就任。
- 2012年には、一軍打撃コーチや二軍打撃コーチなどの経験を活かして、東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍打撃コーチに。
- 2014年には星野仙一監督の退任によって、一軍監督代行に就任。
順調に思えたかのようなデーブ大久保の監督人生でしたが、一軍監督としてチームを勝利に導くことができなかったため、2015年のシーズン終了後に、監督を退任しました。
西武ライオンズから解雇を言い渡されたデーブ大久保
デーブ大久保が西武ライオンズで一軍打撃コーチに就任していたことは先ほどもお伝えしましたが、一体彼が西武ライオンズの一軍打撃コーチを退任した理由は何だったのでしょうか。