
その上で友好関係にある、ブックという人物に次のどちらの説が正しいのか見解を求めます。
つまり、復讐であっても命を奪うことは、
- それはそれで全員に罪を償わせることが正しい
- この事件を外部犯の犯行とした上で、それ以上は見なかったこととする
これを選ばせて、ストーリーは幕を閉じたわけです。
三谷脚本でも、ここまでは原作通りのストーリー展開でした。
しかし、三谷脚本での主人公の名探偵・勝呂は、犯人の一人、保土田民雄に
降りしきる雪の中を、足跡が残るように激しく歩きまわらせ、現場を荒らすように指示
し、これから捜査をするのでは、犯人が誰かわからないようにしてしまうのです。
さらに、
「これで外部の人物の犯行かどうかもわからなくなった」
と、復讐のために犯行を行った12名を完全に擁護したのです。
その描き方が、
露骨な証拠隠滅
をしているようにも映り、コメディタッチで描く三谷脚本らしさは出ていますが、内容には賛否が生まれていました。
これは、あくまで一つの例にしか過ぎません。
今回の映画『ギャラクシー街道』では、意味不明な下ネタ連発も含めて、三谷脚本の映画では、コメディ要素が異様に現れているのです。
では、実際に映画『ギャラクシー街道』が、どんなストーリーとして描かれているのか、振り返ってみましょう。
時は、西暦2265年。
宇宙には惑星間に点在するスペースコロニーに、人類や宇宙人が生活するための居住空間が設置されるようになりました。
そのスペースコロニーには、木星と土星の中間にも設置されていました。
この木星・土星にあるスペースコロニーは、かつては交通量も多く、そこと地球を結ぶ、幹線道路・ルート246666に設置されたスペースコロニーを