
結局、今回の問題は、
当人がどう思うかという問題
になり、支援する側、支援される側。
その双方がお互いの立場になってみなければ、わからないことなのかもしれませんね。
「一刻も早い復興を込めて、千羽鶴を贈ろう」
「千羽鶴を贈ってくるくらいなら、もっと必要性のあるものを贈ってくれ」
という、職場でよくある現場と上層部の意識の違いに似たような現象と言えそうです。
「お札で千羽鶴」もダメ!?善意の気持ちが届かない理由
千羽鶴には作った側の思い入れと、もらった側の気持ちには温度差があり、賛否両論の意見があるようです。
いつどのタイミングで送るのかなど、明確なルールがないので難しいところですね。
最近特に、被災地では「千羽鶴は自己満足」「鶴より衣食住の支援を」という厳しい声も見受けられます。
さらには、千羽鶴を贈る人に対して「鶴を折らずに金を送るべき」「千羽鶴より募金」声も数多くあがっています。
「復興の邪魔になるだけ」と被災地で千羽鶴の処分が大変で迷惑になっているという問題も浮上。
そんな問題を一挙に解決すべく方法が話題になっています。
それがこちら。
TL「千羽鶴は被災地に送らないでください!」
TL「お札で鶴折れば良いんじゃね?」
TL「残念ですがお札は長方形ですので折り鶴は折れません!」僕「折れた…(送らないけど)」 pic.twitter.com/38yrsq7lUR
— かわうそ印 (@namasayagoyou) July 9, 2018
それに対し、「折らずにそのまま送った方がいいだろ」というリプライも多いです。
もちろん、折らずに送った方がいいに決まってます。
「千羽鶴より募金」というならせめてもの…という声からこのようなことを考える人が出てきたのでしょう。
ですが、折られたお札はそのままでは使用できないので、広げ直す必要があります。
その作業がまた手間がかかるという悪循環…。
因みに千羽鶴解体後のお札は、
・手渡し用の見舞金には使えねえ(ぐしゃぐしゃだから)
・銀行の読み取り機械のエラーをバンバン起こすと役場の人がぼやいていたので付け加えておくです
— suomi→n (@naco_home) July 10, 2018
送った人は、「喜ばれるいいことした」と自己満足に酔っていると思います。
善意の気持ちからの行為であるだけに、罪深いですね。
復興支援をしたい場合は、急いで行動に移すことも大事ですが、本当に必要なものは何かということを見極める力も大切ですね。
千羽鶴を贈るにせよ、現金、食料や衣料品にせよ、被災地を支援したいという気持ちはみな同じなのですから。
まとめ
千羽鶴は、医療が発達していなかった江戸時代に、多くの子供が不治の病で亡くなり、その事を危惧して
1日でも長く生きられるように願いを込められて折られた
ことが、その意味や由来にあります。
しかし、なぜか震災を受けて痛みを知っている人たちが、
「千羽鶴なんて痛みを知らない人の偽善行為で迷惑」
などと言うこともあったようです。
だったら気持ち自体は、形にして贈らなくても伝わるとは思いますし、折り鶴を折って、気持ちを被災地の方向へ向け、部屋に飾っておく…。
こういった震災の時には、その程度に留めておくことが、よいのかもしれませんね。