
今で言うところのイスラム国のような極悪非道な組織と言っていいでしょう。
その中心人物と言われているのが、奥平剛士元被疑者と重信房子受刑者の二人。
重信房子
日本赤軍の最高指導者。
1945年生まれ。明大紛争に参加し、赤軍派の創立に加わる。
71年に奥平剛士と偽装結婚し、出国。レバノンで日本赤軍を結成し、奥平亡き後の赤軍を統括した。
2000年に大阪で逮捕。翌年に日本赤軍解散。 pic.twitter.com/v9G5DfwoeZ— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) June 12, 2018
その中でもリーダーとして重信房子受刑者が日本赤軍を指揮していたと言われています。
その重信房子受刑者が、日本赤軍のメンバーである和光晴生受刑者、奥平純三被疑者(奥平剛士元被疑者の弟・国外逃亡中)、西川純受刑者たちと共謀し引き起こした事件が、オランダ(ハーグ)のフランス大使館を占拠したハーグ事件なのです。
それにしても、なぜ、日本赤軍の重信房子受刑者らが、何の関係もない他国で無差別事件を引き起こしてきたのか、実に不思議な話ですね。

彼らの考え方を探ってみるとどうやら、考え方としてはイスラム国と同じような考え方で、次々事件を引き起こしていったようです。
つまり、重信房子受刑者ら日本赤軍も、世界の政治のあり方に不満をもち、暴力により、自分たちの新たな国を作ろうとしていたということ。
だから、中東を拠点として次々と事件を引き起こしていったというのです。
その考えは、まさに極左冒険主義的発想であり、自分たちの理想郷のためなら、どんな手段を用いてでも破壊工作にうって出るのです。
もちろん、その理想郷のためなら自分たちが犠牲になることも厭わないという思想。
今でもイスラム国に同調する人がいるのと同じように、対応のしようがなかったと言っていいのかもしれませんね。
重信房子の偽造結婚の旦那は奥平剛士
さて、そんな日本赤軍の首謀格である重信房子受刑者ですが、元々右翼団体金鶏学院の門下生だった重信末夫氏の娘(四人兄弟の次女)として、1945年9月28日に東京で生まれます。