
つまり、戸籍上は奥平剛士元被疑者が重信メイの父親ということ。
そのため、重信メイはあくまで戸籍上では日本赤軍の元メンバーの娘ということになっています。
シリア難民問題。貧しい人は周辺に留まらざるを得ない。言論の自由よりも生活の安定を望む。どんな政権であろうが。重信メイさん。 #オプエド pic.twitter.com/SQubaICmEL
— みつや (@mitsuya_niwa) November 13, 2015
仮の父、そして母が日本赤軍の首謀者であるだけに、ジャーナリストの娘・重信メイとの関係性は、因縁めいた何かがあるような気がしますね。
そんな元々左翼である重信房子受刑者から生まれた娘・重信メイですが、左翼的な発想で何かの事件に関わっていることはないようです。
左翼的というより、イスラム民族主義的という印象をうけますね。
ロヒンギャという存在を知ったのは2015年11月。#オプエド ゲストの重信メイさんが語って下さったのが強く印象に残っている。SNSで時々、ロヒンギャ族と思われる無抵抗の人々が暴行を受ける動画を見かけるが、スーチー氏はやはりマイノリティとは距離を置いているということなのか?
— 土井洋子 (@1rocoD) July 14, 2017
重信メイは28年間もの間、無国籍だった
重信メイは、出生後に出生届がどの国にも出されていなかったために、28年間にわたり無国籍でした。
その後、2001年3月5日に日本国籍を取得したのです。
例えば、重信メイさんも、1973年に日本人を母、外国人を父として生まれているから、このままでは日本国籍を取得できない。どうやってやったんだろうね。日本人の子である場合は、他の人よりも国籍取得は容易だけれど、日本に在住せずにするのは難しいと思う。
— buvery (@buvery) May 18, 2015
その際の後見人は、頭山満の孫で、玄洋社の流れを汲む呉竹会会長の頭山興助氏でした。
頭山満は明治から昭和の初めにかけての、国家主義運動の草分けであり、当時の右翼の元締め的存在。
その孫が極左暴力主義団体の首謀者である、重信房子受刑者の娘の後見人というのは、なんとも不思議なことですね。
これは重信房子受刑者の父・重信末夫氏が、右翼団体の血盟団の元メンバーであり、頭山満の三男とも知り合いだったため、重信房子受刑者が頭山興助氏に依頼したのだそう。
メイちゃーん
(重信 メイ しげのぶ メイ、1973年3月1日 – 日本人のジャーナリスト) pic.twitter.com/r0Zjo4Xom2
— 修太郎 (@GizumoSyu) July 11, 2014
テロリストの娘として生まれたため、計り知れない苦労があったのでしょう。
一人のジャーナリストとして、様々な政治的破壊活動・事件の実態を暴き、重信メイにしかできない切り口で、戦争や無差別事件によって苦しむ人達のリアルな姿を伝えてくれています。
きっと重信房子受刑者の娘だからこそ伝えられるものがあると思いますので、重信メイさん自身の活躍に期待していきたいものです。
そんな重信房子受刑者の娘・重信メイは現在45歳。
『結婚したい』と、次の人生を考えてもおかしくない時期ですが、重信メイにはその素振りはなさそうな気がします。
それだけに、ジャーナリストとしての重信メイの動向を注目したいものですね。
まとめ
イスラム国のように、様々な無差別事件を引き起こし、かつて世界を震撼させた日本赤軍の元リーダー・重信房子受刑者。
現在、懲役20年の刑を受け、刑務所での生活をしていますが、大腸がんにかかり3度の手術を受けたり、実は娘を産んだりしているとか…。
その娘がパレスチナ人の旦那との間にできた娘でありながら、重信房子受刑者が偽装結婚していたために、実の父親と苗字が異なっているという、ややこしい状況にあるようです。
そして、重信メイという名でジャーナリストとして活動しているので、何かの因縁めいたものも感じられます。
そんな重信メイですが、かつては女優として活動していた時期も。
『革命の子供たち』では、母・重信房子のことを、ドイツ赤軍 の女性リーダー、ウルリケ・マインホフ の娘と語るというようなものまでありました。
28年間もの間無国籍だった重信メイですが、テロリストの娘として育った彼女だからこそ、伝えられる真実もあると思います。
今後も娘・重信メイの動向も含めて重信房子受刑者から目が離せなさそうですね。