井伊直虎の史料や家系図をチェック!本当の性別は男?それとも女?

時事

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また、井伊直親と婚約した、という説もありますが、実際には生涯独身で結婚しないままだったそうです。

Wiki風に、井伊直虎の経歴プロフィールを書いてみますと、以下のようになります。

井伊直虎の経歴プロフィール

名前 井伊直虎(いいなおとら)

通称 次郎法師

幼名 不詳

父 井伊直盛

母 祐椿尼(新野親矩の妹)

生年月日 不詳 (天文5年(1536年)前後に誕生との説あり)

没 天正10年8月26日(1582年9月12日)

墓所 龍潭寺

主君 今川氏真・徳川家康

子 直政(養子)

『おんな城主』誕生のきっかけである、井伊直盛が謀略により倒されたのは、今川氏の家臣・小野道高が讒言(ざんげん)、悪口を報告したことによります。

この讒言は、天文13年(1544年)の時のことで、『今川義元への謀反』という内容でしたが、この讒言により、井伊直満や、その子である直親らが、自害あるいは逃亡することになりました。

当時、井伊直虎は井伊直親の許嫁となっていましたが、龍潭寺で出家し、次郎法師と名乗るように。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて、井伊直盛は戦没。

跡をついだ直親は永禄5年(1562年)に、小野道高の子・道好のまたもや讒言により、今川氏真に命を絶たれました。

親子二代に渡る讒言と、それによる二代に渡る井伊家の不幸といえるでしょう。

このあたりは、いかにも乱世の戦国時代という感がありますが、戦国時代の常識として、

騙されるのは、騙された方が悪い

いう風潮がありました。

和平の談義という名目で、相手を適当な場所に誘い、そこで酒を飲ませて隙を見て斬り倒す、などというのは、日常茶飯事だったそうです。

その後、永禄8年(1565年)に、次郎法師は還俗し、直虎と名を変えて井伊家の当主となったのです。

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