
少し前置きが長くなりましたが、2019年の大河ドラマのストーリー概要から見ていきたいと思います。
2019年の大河ドラマのタイトルは『いだてん~東京オリムピック噺~』。
このドラマに肝心の原作は存在していません。
しかし、このドラマには
二人のモデル
が存在します。
一人は、初めてオリンピックに出場した選手の一人である金栗四三氏(種目は男子マラソン)。
もう一人は、1964年の東京オリンピック招致に大きく関わる田畑政治氏。
この二人をモデルとしたドラマを、前編(金栗四三氏の物語)を中村勘九郎さん。
後編(田畑政治氏の物語)を阿部サダヲさん中心に、1年を掛けてストーリー展開していくとのこと…
もしかしたら、この二人がいなければ、日本にオリンピックブームがやってくることがなかったかもしれません。
それほど、日本のスポーツ史において重要な人物であるだけに、どのようにオリンピックとスポーツ史を密接に描いてくれるのか、非常に楽しみですね。
脚本は、俳優・映画監督・ミュージシャンとしても幅広く活躍し、NHK朝ドラ『あまちゃん』の脚本を手掛けたことでも有名な
宮藤官九郎さん
が手掛けます。
彼自身、大河ドラマはおろか、モデルが実在するドラマの脚本は手掛けたことがなく、全くの未知数です。
さらに宮藤官九郎さん自身、
『これまで歴史・オリンピックに一切興味を持っていなかった』
とNHKのサイトでコメントされています。
正直、
「宮藤官九郎さんに大河ドラマを書かせて大丈夫か?」
という不安はあります。
しかし未知数だからこそ期待できることもあるでしょうし、きっとこれまでにない斬新な脚本を手掛けてくれることを期待したいですね。
そう言えば、宮藤官九郎さんは、今回の『いだてん』の脚本を手がけるにあたって、ちょっとしたオリンピックオタクになったという話もしています。
全く関心のなかった人が、仕事上とは言え、オタクになる程に関心を持たせるようなドラマ展開されていたわけです。
それだけに、そのフィクションと、宮藤官九郎さんならではの世界観が、どのように融合していくのかという点にも注目したいです。
まだ、『いだてん』の具体的な放送日時は決まっていません。
少なくとも、2019年1月から放送されることだけは決まっているので、再来年、どんな斬新な大河ドラマが放送されるのか、今から楽しみにしておきたいものです。
[adsense]
大河ドラマ『いだてん』のストーリーをチェック!
2019年、東京オリンピック(2020年)に先駆け、NHK大河ドラマとして放送することが決まった「いだてん~東京オリムピック噺~」。
その装いは、先程お話したとおりで、これまでの大河ドラマには全く見られない斬新なドラマとなっています。
では、具体的に『いだてん』は、どんなストーリーとして描かれているのでしょうか。
まだ『いだてん』の脚本そのものを書き始めたばかりという話なので、その全貌は明らかになっていませんが、その断片をひと足早く紹介していきたいと思います。
いだてん前編『ストックホルム大会篇』
柔道や鷹狩などの狩猟など、生活・武術として密着したものはあったものの、まだスポーツ競技として定着していなかった1900年代初期(1909年)。
東京高等師範学校の校長・嘉納治五郎氏の元に、フランスからオリンピックの招待状が届きます。
どうやら欧州だけでなくアジアからも、オリンピック委員として参加してくれる人材を探していたらしく、嘉納治五郎氏に白羽の矢が立ったのです。
当然というべきか、嘉納治五郎氏も委員になることを快諾し、その事をきっかけに、オリンピックへ日本人選手の参加を促す招待状が届いたのです。
そこで、嘉納治五郎氏は、当時あまり積極的ではなかった各大学を説得して周り、ようやく国内初のオリンピック予選会を開催…。
そこで選ばれたのが、マラソン選手の金栗四三さんと、短距離選手の三島弥彦さんでした。
嘉納治五郎氏は予選会で選出した、金栗四三さんと三島弥彦さんの二人を引き連れて、1912年の第5回ストックホルムオリンピックに参加したのです。
しかし、結果は
大惨敗…
三島弥彦さんは、外国人選手たちとの体格の差に圧倒され、実力を何一つ発揮できずに予選敗退。
一方、金栗四三さんは、26km地点でまさかの日射病にかかって失神リタイアしてしまう醜態を晒してしまうのです。
当時は、スポーツという言葉が定着していなかったくらいです。
そんな日本は、いろんな意味で実力不足だったわけで、世界との差が歴然としていたのは無理もない話です。
ただ、国民の体育向上を図ろうと、当時の文部省が力を入れていたことは事実らしく、その道のエリートだった彼らにとって、この惨敗は、受け入れがたいショッキングな出来事だったのでしょう。
三島弥彦さんは、外国人に走りで勝てないことに絶望し、競技人生を諦め、
銀行マン
として、第二の人生を歩み出し、成功を収めていきます。
一方の金栗四三さんは、まだマラソンを諦めきれず、4年後のリベンジを誓います。
その間、春野スヤという女性を伴侶に迎え、さらなるトレーニングに力を入れていくのです。
しかし、そんな金栗四三に悲劇が…。
なんと、第1次世界対戦のために、次のベルリン大会が中止になってしまい、オリンピックに参加できなくなってしまうのです。
当時、トレーニングも順調で絶好調だった金栗四三さんにとって、これ以上の悲劇はなかったことでしょう。
結局、マラソン選手としての道を諦めざるを得なくなってしまった金栗四三さんは、完全に夢を戦争に奪われてしまうことになるわけです。
そんな金栗四三さんを救ってくれたのが、嘉納治五郎氏だったのです。
彼は、
「夢は後進に託せばいい」
と助言し、そのことで前向きになった金栗四三さんは、学校の講師へと第二の人生を歩み始めます。
なんと箱根駅伝を創設し、後進育成に励み、やがて金栗四三さんに育てられた後進たちの手で、スポーツという文化が日本に定着していくのでした。
以上が、ざっくりではありますが、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の前半部のストーリーとなっています。
ただし、先程もお話したとおり、まだドラマの脚本を書き始めたばかりなので、あくまで、これは史実に則った話でしかありません。
ここから宮藤官九郎さんが、どこまでフィクションの部分を織り交ぜていくのか注目したいところですね。
では続いて、『いだてん』の後半部分もみていきましょう。
いだてん後編『ベルリン大会以降のオリンピック招致の光と影』
嘉納治五郎氏、金栗四三さんらの尽力によって、1930年にはスポーツ大国へと成長した日本。
遂に、東京にオリンピックを招致しようと運動を始めることになります。
その中の一人として活動していたのが、田畑政治さん。
田畑政治さんは、早速、嘉納治五郎氏らとともに、当時のオリンピック開催国招致で競合していたイタリアの首相・ムッソリーニに直談判を仕掛けます。
しかし状況は厳しい…。
そこでさらに、攻勢の手を緩めず、IOC会長を日本に招待し招致活動に励むのですが、タイミング悪く2.26事件が勃発…。
東京に戒厳令が敷かれてしまい、東京オリンピック招致活動の最大の危機を迎えてしまうのです。
もう半ば諦めかけた東京オリンピック招致活動でした。
しかし1936年。
ベルリン大会開催前日に開かれたIOC総会で、なんとか次の五輪招致が認められ、歓喜に浸ることになります。
そして、ベルリン大会の水泳女子200m平泳ぎでは、前畑秀子選手が金メダル!
「前畑頑張れ」
の実況と共に世界中で大フィーバーし、東京オリンピックへと熱気が急上昇していく中、ある悲劇が起こってしまいます。
なんと、この翌年に日中戦争が勃発!
軍国化した日本に対して、各国がオリンピックボイコット運動をしてしまうのです。
これに対して、嘉納治五郎氏が、1938年(昭和13年)にエジプト(カイロ)で開催されたIOC総会で、
「アジアの平和の実現は、日本の最高の決意である。」