京美人の芸能人や女優をチェック!その言葉の由来や意味とは?

雑学

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


など、多くのジャンルで男性を魅了している女優・芸能人を輩出している京美人。

なぜ京美人という言葉が生まれているのでしょうか。

そもそも日本三大美人の一つとして、多くの人が京美人という言葉を耳にするようになった背景・由来はどこにあるのでしょうか。

では、さっそく京美人の由来を見ていきましょう。

宮中にいた釆女(うねめ)が由来説

奈良や京都は、大昔に都だった話は、みなさん知っていると思います。

歴史の教科書でも、奈良時代や平安時代のことが掲載されていますが、その頃の都は、まさに奈良・京都にありました。

しかも、今の日本のように、ただ国の象徴とされているだけでなく、政権の中枢に天皇が存在していたのです。

とくに奈良時代には租庸調(そようちょう)という、今で言うところの貢物や税を治める制度があったそうです。

ここではざっくりの説明になりますが、要は、

労働力や絹・繊維などの織物、そして米などを納めるのが国民の義務

とされてきたわけです。

その中で、

地方豪族の娘を宮中に貢ぐしきたり

があり、それは平安時代の頃にも受け継がれ、地方の麗しき娘が、ことごとく京都に集結してしまうのです。

それを釆女(うねめ)と呼びます。

彼女らは、ただ美しいだけでなく、高い教養を身につけていて、世の男性のあこがれの的となったと伝えられているのです。

まぁ、今で言うところの宝塚歌劇団に所属する女性に似たもの、といえばわかりやすいのかもしれません。

そして、この采女の名残りは、舞妓・芸子として継承され、ただ外見的な美しさだけを求めるのではなく、

はんなりという京都独特の上品さなど

も含めて、求められ生きてきたようです。

確かに、舞妓さんや芸子さんを見ていくと、言葉遣いもきれいな京都弁を使っています。

上品さや教養もそれなりに高く感じられます。

それも、宮中に集められた美しき女性たちをしっかり教育してきたからこそ、京美人は誕生したのかもしれませんね。

小野小町が由来である説

おそらく、みなさんも『小野小町』という名の人物は、一度くらいは聞いたことがあると思います。

彼女は平安時代の女流歌人。

六歌仙のひとりでもある小野小町は、

世界三大美人

の一人でもあります。

その美しき女性である小町が秋田で生まれ、

仁明天皇の女官として宮中に仕えるために京都で過ごした説

があるのです。

そして、そのことが京美人誕生に大きく関係しているみたい…。

確かに、小野小町一人が移り住んできたとしても、京美人が誕生する程、全体に影響を及ぼすとは考えにくいです。

ただ、絶世の美女とも言われるほど美しい小町が京都で生活することで、少なからず、世の男性たちは小町に目が向いてしまうことでしょう。

そうなると、他の女性は女性としてのプライドが許せず、美を追い求めるようになったとしてもおかしくはありません。

今で言うところの、

女優や女性芸能人に憧れ、ファッションやヘアスタイルを真似ていく、美意識の高い女性たちと同じ

といえば、なんとなく見えてくるのかもしれませんね。

あくまで一つの説にすぎないのですが、この小野小町が由来説もあながち間違いではないのでは?と感じています。

ただし、正直なところ、小野小町が本当に秋田出身で京都に移り住んできたのか、確証はありません。

色々根拠となる説は流れていますが、それもどこまでが本当なのかはっきりしていないので、なんとも言えないのが率直なところです。

 

以上が、京美人の主な由来と言われる2つの説です。

どの説がどこまで正しいのかはっきりしていません。

まぁ、いずれにしても京都に人格・ルックスの優れた美人が集まり、その結果、

はんなりという京都独特の言葉も生まれ

京美人として他の都道府県の人たちから呼ばれるようになったことは、間違いなさそうですね。

 

京美人の意味・特徴は?

京美人とは、

はんなり(おしとやかで上品さを持つ京都独特の女性の品格)した美しい女性

のことを指す言葉です。

しかし、それは特徴的なことを差しているに過ぎません。

あくまで、意味合いとしては、単純に

京都生まれの美人

を総称した言葉です。

美人の定義なんて、人の価値観によって変わってきます。

京美人の定義なんてないも同然で、とくに深く考える必要はないと思います。

あくまで一つの考え方として、主観で定義付けてはいますが、参考程度に頭の片隅にでも入れておいていただければ幸いです。

まぁ、その辺は秋田美人・博多美人も同じで、あくまで地方独特の特徴を持つ美人が、それぞれの意味と考えて良いと思いますよ。

1 2 3 4
ページトップへ