映画ブレードランナーのレイチェルの寿命とデッカードとの関係

映画

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愛し合う者にとっては、後何年生きられるかは重要な問題ではない

と解釈することもできますね。

この解釈では、短い残りの人生を精一杯生き続けようということになります。

しかし、このエンディングはリドリー・スコット監督が当初考えていたものではなく、後から変更追加されたものなのです。

その理由は、興行成績への不安からで、監督の当初の案では、あまりにもわかりづらく、一般受けしないだろうということでした。

そこでよりわかりやすく、ハッピーエンドも見えてくるこの演出となったわけです。

その後、『ブレードランナー』の評価が高くなると、いくつかのバージョンが発表されました。

その中で重要なのは、1992年のディレクターズ・カット版と2007年のファイナル・カット版です。

こちらは前述のデッカードのナレーションと流浪の旅のシーンは、全てカットされています。

そして、エンディングは、二人がエレベーターに乗り込むシーンで終わりとなっているのです。

リドリー・スコット監督の当初の案通りの結末ですね。

このどちらのエンディングが良いかは、人により評価がわかれるでしょう。

筆者は、逃避行の方がセンチメンタルで良いような気もしますね。

 

なお、フィリップ・K・ディックの小説を始めて読む人への注意としては、

彼の作品はかなり読みにくく、とっつきにくいです。

文章が難解であるとかではなく、読んだ後でも内容の理解が困難、ということです。

早く言えば、

「なにがどうなっているのか、よくわからない」

ということですね。

これは内容をそのまま受け取り、自分なりに考えて解釈するよりありません。

 

レイチェルとデッカードの関係とは?

レイチェルとデッカードの関係といえば、最初は

狩る人間と狩られるレプリカント

という関係でした。

しかし、二人は愛し合うようになります。

こうなると二人の関係は複雑ですね。

それともう一つ、重要で複雑な要素があります。

それは、

デッカードは真正の人間なのか、それともレプリカントなのか

ということです。

原作でも、デッカードは本当に人間なのか、疑問に思える点がいくつかありましたが、映画『ブレードランナー』でも、とくに

1992年のディレクターズ・カット版以降のバージョンでは、デッカードはレプリカントではないか

という暗示的なシーンがあります。

それがユニコーンのモノローグなのらしいのです。

逃亡したレプリカントは、六人とされています。

その内、五人は次々に命を落としますが、最後の一人については安否は不明のままなのです。

この場合、レイチェルは社長により製作され、その生い立ちはわかっているので、最後の一人ではありません。

となると不明の一人とはだれ?…。

ということです。

さらには、デッカードの同僚ガフの折り紙ですが、それはユニコーンで、デッカードが夢に見たものです。

ではなぜ、ガフはデッカードが見る夢を知っていたのでしょうか?

レプリカントの記憶は、制作者が挿入したものです。

つまりガフはデッカードの情報を知っていたことになります。

レプリカントであるデッカードの記憶を操作してレプリカント狩りを行わせ、その後にデッカードも始末するつもりだったのでは?

その他にも、デッカードはレプリカント判別試験を受けなかったり、写真を集めるのが好きということもあります。

レプリカントは写真が大好きなのです…。

とはいえ、もしデッカードがレプリカントであるとすると、映画には、それと矛盾する描写も多いのです。

このあたりはよくわかりせんが、あるいは単に作っている間にたまたま設定を入れてしまっただけのことかも知れませんね。

 

まとめ

映画『ブレードランナー』では、デッカードとレイチェルはどうなっていくのでしょうか。

映画のバージョンにより、彼らの行く末も異なるようですが、果たしてレイチェルの寿命が本当に4年しかないのか、気になりますね。

また、デッカードとレイチェルの関係は、人間とレプリカントの関係で終始してしまうのか。

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