
【広島・大久野島】芸予諸島の1つ。戦時中、毒ガスを秘密裏に製造していたため、軍が発行した地図からは消されていた。1988年に大久野島毒ガス資料館開館。工員の手帳や液体毒ガス製造装置、作業服等、当時使われていたものを展示。 pic.twitter.com/q5u7L8ihJx
— B面 (B級スポット・珍スポットガイド) (@bii_men) June 21, 2018
なんと毒ガス兵器の製造は、第二次世界対戦末期まで続き、実際に海外で使用されてきました。
しかし、戦後にアメリカのGHQに大久野島の毒ガス工場の存在を知られ、毒ガス工場は解体されることに…。
つまり、大久野島がかつて地図から消されていた理由は、日本政府が毒ガス工場の存在を世界に知られたくなかったからなのですね。
現在大久野島には、毒ガス資料館があり、当時の様子を知ることができます。
ウサギ島で有名になった大久野島には戦時中 毒ガス工場があったので、毒ガス資料館がある、「地図から消された島」ウサギかわいい!ももちろんいいんだけど、社会勉強としてぜひ資料館にも行ってほしい⋯ 展示されてる写真がめちゃめちゃ怖いんだよな
— かんな@自家通販はじめました (@canna725) June 22, 2018
また、大久野島は戦後、国民休暇村に指定され、1934年には瀬戸内海国立公園に制定されました。
大久野島は、一般車両の通行が禁止されていて、職員の宿泊施設や観光客向けの宿泊施設があるだけで、人は住んでいません。
そのため、人の人数よりうさぎの方が多いと言われています。
大久野島にうさぎが増えた理由
人の人数より多いと言われている大久野島のうさぎたち。
島の周囲が約4.3km程しかないとても小さな大久野島に、なぜこれだけの数のうさぎが生息しているのでしょうか。
紫陽花が見頃になったので、今年も #大久野島 へ。
次の予定があったのと、紫陽花周りにあまり #ウサギ が居なかったので、昨日の+2年前の写真1枚🐰
もちろん他の時期に行っても楽しいです。 pic.twitter.com/6VC7S9kV1T— nahairo (@nahairo) June 18, 2018
その理由を探ってみると、大きく2つの理由が推測されていることがわかりました。
- 小学校で飼われていた8匹のうさぎが、野生化し繁殖していったという説。
- 毒ガス工場で毒ガス実験のために使用されていたうさぎが、終戦後に、毒ガス工場の撤退とともに野生化し、繁殖していったという説
この2つの説のどちらかが真実なのではないかと言われているそうです。